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江戸時代から人々の足もとを支える手作りの足袋

能や狂言の舞台をみていると、おのずと足もとに目がいく。能楽堂ほど足袋が凝視される空間は、他にはないのではないだろうか。それゆえ舞台に立つ者も、足袋には神経を使う。シンプルな形のようでもあるが、作る店ごとに履き心地や見栄えが異なる足袋。一体、どのように作られているのだろうか。能の白足袋をはじめ、狂言用の色足袋も手掛ける大野屋總本店の福島茂雄さんに話をきいた。

大野屋總本店の足袋

芝居町の足袋店として発展

多くの人で賑わう東京の銀座から10分ほど歩いたあたりに新富町と呼ばれるエリアがある。かつて新富座という大きな劇場があり、芝居町として栄えたこの地に、大野屋總本店は店を構えている。

大野屋總本店の外観

まずは歴史からうかがう。大野屋總本店は、江戸時代の1770年に東京・三田で創業。その後、幕末ごろに現在の地に移ってきた。茂雄さんは、代々続く当主の七代目にあたり、代表取締役を務めている。両親や妻の(あや)()さんなど、家族を中心にした体制で足袋の製造を行い、茂雄さんはお得意先との打ち合わせや催事への参加などで、あちこち忙しく飛び回っている。随所に手の込んだ職人仕事がみられる和風建築の店舗は、関東大震災の直後に茂雄さんのおじいさんが建てたものだ。

代表取締役の福島茂雄さん

「祖父の時代は新富座で賑わっていたころで、このあたりにはたくさんの足袋屋さんがあったそうです。商売も勢いがあり、凝った建物にしたようです。東京大空襲のときは銀座も焼け野原になりましたが、近くにキリスト教系の聖路加国際病院があったせいでしょうかね、うちはガラスが割れたくらいで焼けずにすみました」。

この建物には地下に防空壕がある。特別に入らせていただいたが、意外に広く、当時の人の切迫した気持ちが伝わる空間だった。

さて、大野屋總本店の仕事の内訳だが、ちょっと特殊で半分くらいは歌舞伎関係である。顧客は実に多様で、皇室関係、寺や神社、能楽、日本舞踊、茶道、宝塚歌劇団、さらにテレビでもおなじみの演歌歌手やアイドルの足袋も手がける。もちろん一般向けの普通の足袋もあり、だれでも買うことができる。