能のお稽古に必須の「謡本」は誰がどのように作っているのか?

2021年の水谷和本堂

前回、取材で訪問したのは2016年。あれから5年が経った。

コロナ禍という大波もあり、水谷さんたちのお仕事がどうなっているか、不安な気持ちで電話をかけた。お話したのは、お母さんの恭子さん。5年前もそうだったが、さっぱりとしたお人柄で、なんでも包み隠さず、しゃきしゃきとお話くださる。まず、コロナの影響をうかがってみる。

「ガクーンときましたよ。去年(2020年)の5月ごろから、注文が減ってきて、一番底だったのは6月ですかねぇ」

公演のストップは、ものづくりの製作現場に急ブレーキをかける。能楽の公演は、2020年の3月ごろまでは、ばらばらとあったが、4月に入るとほとんどが中止か延期になっていた。能装束の現場も、その頃から、ぱたっと注文がこなくなったと言っていた。能に付随するものづくりというのは、公演が行われているからこそ継続できる、ということを改めて認識する。幸い謡本の注文は、6月を底にして、少しずつは増えてきているそうだが、やはりコロナ前には戻っていない。

「前は、月に2回は檜書店さんに納品に行っていましたけど、今は1回くらい。少ないときは送ることもありますね」

でも、恭子さんの声はしょんぼりしていない。娘の葵さんが、頼もしく仕事を支えてくれているからだ。おもえば、取材でお邪魔したときも、葵さんは職人的オーラがキラキラしていた。余計なことはしゃべらない。手がびゅんびゅんと仕事をしていく。いいものを作ろうとする、鋭い眼差しが今でも思い浮かぶ。

葵さんは、あれからお子さんを2人生んでお母さんになっているという。2人目は、去年の夏に生まれたばかり。

「仕事が少ない時期で、かえって助かりましたよ」

恭子さんも、思いっきり孫の面倒がみられたことが、うれしい様子だった。さて、気になるのは仕事の体制である。おそるおそるうかがってみると、「前と同じですよ。なにも変わっていません」と、きっぱり。あちこちのものづくりの現場をまわっているが、「前より悪くなっている」という言葉を聞くことが多い。だから、「変わらない」のは、ホッとする。道具類は、うまく調達できていますか?とたずねると、

「表紙をつけるときに使うへらも、何本も買い置きがあるし、大丈夫ですよ」

と、頼もしい返事がかえってきた。ただ、機械類はちょっと不安もあるようだ。

「断裁機とか、糸を通すための穴をあける機械とか、今は、まだ動いてくれていますが、壊れたら直せるか…。そこは不安ですね」

謡本の外題げだい(2016年撮影)

さきほど、恭子さんは「変わっていない」と言っていたが、実は、改良したところもある。以前は、外注していた印刷の工程を、自分たちで行うようになったのだ。これなら、10冊くらいの小ロットでも対応できる。小回りよく、やっていこうという作戦。これができるようになったのも、葵さんのデジタルの技術があったからだという。

恭子さんは、しゃきっとした声で、こう言う。

「謡本も販売数が少なくなってきていますが、なくなるかっていうと、そういうものでもないですよね」

それに葵さんが「後を継いでやっていきます」と言ってくれているという。

ほっと胸をなでおろすとともに、こうした伝統的な紙の謡本をこれから、どう未来につないでいくのか。能楽界全体で、少し長い射程で考えるべき時期にきているのではないかとも感じた。(文・写真 田村 民子)

「伝統芸能の道具ラボ」主宰 田村たむら 民子たみこ

1969年、広島市生まれ。能楽や歌舞伎、文楽などの伝統芸能の裏方、職方を主な領域に調査や執筆を行う。作れなくなっている道具の復元や調査を行う「伝統芸能の道具ラボ」を主宰。観世流のお稽古歴、7年。

東京新聞、朝日・論座、朝日小学生新聞などに執筆。