曲の解釈と謡い方【三、三番目物】(6)

① 大小序ノ舞の女性夢幻曲
〈東北、井筒、野宮、半蔀、夕顔、仏原、采女、楊貴妃、二人静、江口、定家、芭蕉、源氏供養(身延、梅)〉

〈野宮〉

この曲と〈井筒〉とは姉妹曲といわれるほどに景趣も構成もよく似ているが、細かく見ると、女主人公の性格からくる曲趣の差はかなり大きい。

源氏物語に描かれた六条(ろくじょう)の御息所(みやすどころ)という人は、前の東宮妃(とうぐうひ)という高貴な身分である。未亡人となってから光源氏と契(ちぎ)ったが、その間はとかく途絶えがちであり、殊(こと)に御息所の生霊(いきりょう)が源氏の正妻葵上(あおいのうえ)に祟(たた)りをなすということがあってからますます疎遠(そえん)になった。たまたま御息所の女児が伊勢の斎宮(さいくう)に任ぜられたので、世をはかなんだ御息所は自分もともに伊勢へ下ることを決意し、それに先立って潔斎(けっさい)のために嵯峨野(さがの)の野の宮にこもっていると、さすがに無下(むげ)にも捨てかねた源氏の君が訪れてくる。それは秋深き長月(ながつき)(九月)七日のことであった。

失意の人御息所(みやすどころ)にとって、この愛人の来訪がいかに嬉しい思い出であったかは想像にかたくない。星霜(せいそう)幾百年、同じ日の長月七日に野の宮の古跡(こせき)を訪ねた旅僧の前に御息所の霊が現れるのは、能の世界では最も自然な現象である。

この前場は〈井筒(いづつ)〉の前場に酷似(こくじ)しているが、女主人公の性格から恋の内容が全く違うから情趣(じょうしゅ)は決して同じでない。御息所という女性は淑(しと)やかで高雅(こうが)ではあるが、とり澄(す)まして親しみがたいところがあり、また嫉妬(しっと)のためには生霊(いきりょう)となるといった激しさもある。本曲が描いたのは、そうした性格の女性の、もはや根(こん)も尽き我(が)も折れた寂しい心境であり、年も三十というかなりの年増(としま)である。能では〈井筒(いづつ)〉と同じく若女(わかおんな)の面(おもて)に紅入(いろいり)唐織(からおり)という姿ではあるが、〈井筒〉との人柄の相違は装束(しょうぞく)の色合(いろあい)から模様を変えることによって表現される。