それでは謡で〈野宮〉と〈井筒〉をどう謡い分けたらよいかというと、ひとしく〔大小序ノ舞物〕であり、また恋の曲であるから、三番目の情調をたっぷりと利かすことには変わりがないが、形の上の相違を強いていえば、〈野宮〉のほうが〈井筒〉よりもいっそうテンポを静に調子を抑える、つまり曲の位が重いといったことが言えるかもしれぬが、そうした形の上の技術はむしろ第二義であって、最も肝心なことは、それぞれの主人公の個性を深く掘り下げて、それによってかもし出される情趣に没入する演者とその人の感覚であると思う。

後シテは長絹——緋大口という一般の三番目後場の舞姿であるが、前場で描かれたような主人公の寂しい心境はむろん後場でも変わりがない。賀茂の祭の車争いは御息所にとって怨恨極まりなきものであったが、それにちなんでシテは車に乗って出てくる心である。ワキとの掛合から地へかけてはその車争いのことがのべられるのだから、かなり気をかけて謡うが、「よしや思へば何事も」からは全然気をかえてしっとりと閑かに〔序ノ舞〕情緒に移って行く。そのあとの源氏来訪の思い出は、景趣の表現に抑揚緩急が必要であり、それを受けて〔破ノ舞〕がある。[キリ]は生死の道を離脱し再び車に乗って冥界に帰り行くところ。うら寂しく哀れな情趣を表現すべきである。
