曲の解釈と謡い方【三、三番目物】(6)

それでは謡で〈野宮〉と〈井筒〉をどう謡い分けたらよいかというと、ひとしく〔大小序ノ舞物〕であり、また恋の曲であるから、三番目の情調(じょうちょう)をたっぷりと()かすことには変わりがないが、形の上の相違を()いていえば、〈野宮〉のほうが〈井筒〉よりもいっそうテンポを静に調子を抑える、つまり曲の(くらい)が重いといったことが言えるかもしれぬが、そうした形の上の技術はむしろ第二義であって、(もっと)肝心(かんじん)なことは、それぞれの主人公の個性を深く掘り下げて、それによってかもし出される情趣に没入(ぼつにゅう)する演者とその人の感覚であると思う。

後シテは長絹(ちょうけん——緋大口(ひのおおくち)という一般の三番目後場の舞姿であるが、前場で描かれたような主人公の(さび)しい心境はむろん後場でも変わりがない。賀茂(かも)の祭の車争(くるまあらそ)いは御息所にとって怨恨(えんこん)極まりなきものであったが、それにちなんでシテは車に乗って出てくる心である。ワキとの掛合(かけあい)から地へかけてはその車争いのことがのべられるのだから、かなり気をかけて謡うが、「よしや思へば何事(なにごと)も」からは全然気をかえてしっとりと(しず)かに〔序ノ舞〕(じょのまい)情緒に移って行く。そのあとの源氏来訪の思い出は、景趣の表現に抑揚(よくよう)緩急(かんきゅう)が必要であり、それを受けて〔破ノ舞(はのまい)〕がある。[キリ]は生死の道を離脱(りだつ)し再び車に乗って冥界(めいかい)に帰り行くところ。うら寂しく哀れな情趣を表現すべきである。