〈采女〉
大和物語に、奈良の帝の寵愛を受けた一女官が、その寵の衰えたのを恨んで猿沢の池に身を沈めたとあるのに取材した曲であるが、前場でいとも哀傷的にその物語を旅僧に訴えているのにかかわらず、後場で現れた采女の本体は、そうした怨恨などはけろりと忘れたように、ただその頃の采女の生活の花やかさを語ったり、歌舞に戯れたりするだけである。だからこの曲は、あまり深く考えずに、単に美しい三番目物、大小序ノ舞物としてはむしろ陽気な曲と心えて謡えばよいのではなかろうか。
〈楊貴妃〉
小野小町か楊貴妃かといわれる、その楊貴妃は小町よりも一段と品位の高い絶世の美人に相違ない。これを神仙の生まれ変わりとしたのは、一世に冠たる人物はみな神仙視するという中国思想の現れと思うが、この曲の解釈としては、あまりそれに捉われないで、単に古今東西に絶する美姫楊貴妃とだけに解しておいてよいと思う。この曲が一般の夢幻曲と違って、幽霊が向こうから出張に及ぶのでなく、ワキのほうから蓬莱宮へ訪ねて行くという点も、神仙なるが故というようにむつかしく考えないで、ただそれだけの筋と解しておいてよいと思う。

としてみれば、この曲は人間楊貴妃の実に美しい恋の哀詩である。詞章も極めて美しい。どこをどうということもなく、全篇を三番目物の常識に従って謡って行き、その間に、艶麗に謡えば謡うほど気品が上がってくるようになれば、その謡はたいしたものだと思う。
