シテ方金春流の4名の能楽師によるグループ「座・SQUARE」が今年で結成30周年を迎える。7月20日の第29回公演にむけて、4人にお話をうかがった。

座・SQUARE(ザ・スクエア) プロフィール
シテ方金春流能楽師の髙橋忍・辻井八郎・山井綱雄・井上貴覚、4名によるグループ。1998年に結成、年に一回7月の海の日に自主公演を行う。金春流宗家直伝の正統な芸風を継承する。

髙橋 忍(たかはし しのぶ)
シテ方金春流。1961年生まれ。父・髙橋汎および79世宗家金春信高に師事。1971年「安宅」の子方で初舞台。2026年「卒都婆小町」を披く。重要無形文化財総合認定保持者。「士乃武能」を主宰。公益社団法人金春円満井会理事長。公益社団法人能楽協会東京支部副支部長。一般社団法人日本能楽会理事。

辻井 八郎(つじい はちろう)
シテ方金春流。1966年生まれ。79世宗家金春信高、80世宗家金春安明に師事。母は金春流能楽師仙田理芳。1974年「国栖」の子方で初舞台。重要無形文化財総合認定保持者。「辻井八郎ノ能」「理春会能」を主宰。公益社団法人金春円満井会専務理事。公益社団法人能楽協会理事。

山井 綱雄(やまい つなお)
シテ方金春流。1973年生まれ。79世宗家金春信高、80世宗家金春安明、富山禮子に師事。祖父は金春流能楽師梅村平史朗。1978年「柏崎」の子方で初舞台。重要無形文化財総合認定保持者。「山井綱雄之會」を主宰。公益社団法人金春円満井会常務理事。公益社団法人能楽協会理事。

井上 貴覚(いのうえ よしあき)
シテ方金春流。1971年生まれ。仙田理芳および79世宗家金春信高、80世宗家金春安明に師事。1992年「江口」ツレで初舞台。重要無形文化財総合認定保持者。「理春会能」を主宰。公益社団法人金春円満井会理事。
——座・SQUAREは7月の公演で29回目ですが、結成は今年で30周年を迎えられるそうですね。結成のきっかけはどんなことだったのでしょう?
髙橋 当時、金春流は信高宗家(79世宗家)がいて、うちの父(高橋汎師)、本田光洋先生、安明先生(80世宗家)、がだいたいそれぞれ10歳違いくらいで、職分(能楽師)が10年に一人というスパンでしかいませんでした。
それが、私の代から、ちょうど私の一回り下の山井君までの12年に、奈良の分家に金春穂高さん、東京に辻井、山井、井上の3人がいて私を入れた東京の4人でよく集まっていたのですが、最終的にグループを作れないだろうか、と一番年長者の私が声をかけたのが結成のきっかけです。最初はみんな「ええーっ」という感じでした。
グループ名は、はじめ名前から一文字ずつとって、「忍八井綱(にんぱちいつな)の会」はどうか、と呼びかけたのですが、それじゃああんまりだ(笑)、ということで、当時辻井くんがバスケットボールが大好きだったこともあって、マジソン・スクエア・ガーデンから「スクエア」という名前にしないか、と。四角い能舞台で戦うという意味にもなるので、「SQUARE」にしようということになりました。
最初はみんな驚いていたんです、英語ですしね(笑)。でも「面白いかも」という話になって、じゃあその前に「ザ」をつけようと。それは漢字の方がいいんじゃないかということで「座・SQUARE」になりました。
辻井 その頃の金春流で自主公演会は大先輩の本田光洋師、櫻間金記師が主催される「轍(わだち)の会」がありましたが、他にはなくて…。
山井 当時、忍さん以外、会の結成を本気にはしていなかったですよね(笑)。

髙橋 当時家元だった金春信高先生に会の結成のお許しをいただく時、まず名前に驚かれたのですが、「金春流の四本柱を目指して、家元や先輩方を支えていく所存ですので、どうかお許しください」とお願いした覚えがあります。当時は英語の名前なんてなかったので、皆さんにびっくりされましたけど、逆にすぐ覚えていただきました。
それから、能楽界を盛り上げていくために、能を広く知ってもらわなければいけませんから、顔写真は笑顔で写ろう!っていうのがコンセプトだったんです(笑)、親しみやすくなければ、と。だから最初のプロフィール写真はみんな笑顔なんです。
井上 それは忍さん個人のコンセプトのような(笑)。
髙橋 当時メジャーリーグに行った野茂投手の、笑顔のないプロフィール写真が不人気で、翌年笑顔のプロフィール写真にしたら現地のファンにとても喜ばれたというのを聞きました。能楽も敷居が高いと思われているし、能楽師もだいたいにらみつけてる写真が多かったから(笑)、変えましょうと。
ちょうどホームページもできた頃で、笑顔の写真を載せていたら、テレビ局の人の目に留まってバラエティー出演があったり、ミュージックビデオに出るお話がきたりしました。


——これまでの「座・SQUARE」公演は、どのように選曲してこられたのか、またそれぞれ印象深かった曲などありますか。
辻井 まず初めて能を見る方でも飽きずに見てもらえる曲をやろう、というのが最初にありました。長く会を続けているうちに我々の年齢が上がって、自分たちの年代だったらこの曲を背伸びしてやってみよう、というような選曲も増えていきました。それと、金春流にしかない曲をやろう、と。この3つを軸とし選曲していると言えます。
私自身は第13回(2010年)の時に「海人」のシテを勤めた時が特に印象に残っています。この年の3月に私の母(シテ方金春流能楽師・仙田理芳師)が亡くなりまして、そのタイミングで偶然ですが「海人」だったんです。子方にはうちの娘がつきました。そのときに共演いただいた皆様、三役の皆様にも本当に同じ追悼の気持ちでやっていただけたというのがありまして、とても印象に残っています。
それから、第26回(2023年)の「長柄」は古式という小書で従来の演出から少し変えさせていただいたのですが、「自己責任で好きにやるように」と前家元の安明先生に言われておりましたので、その時に色々と演出を考えてやりがいを感じました。
山井 私は思い出がありすぎて選ぶのに困りますが……、第1回(1998年)の旗揚げ公演の時は、八郎さんが「田村」で、私が「黒塚」だったんです。当時の家元の信高先生から特別言葉はなかったんですが、当日、家元のお宅に装束を取りにうかがったら、面が並べてあったんです。金春家で持っていらっしゃる秘蔵の面です。信高先生が八郎さんと僕に「今日はこれを使いなさい。うちにこれ以上の面はないから」と言ってくださって、本当に応援してくださっているんだなと、とてもありがたく感じました。
井上 「お祝い」だと仰っていましたね。
辻井 たしかに、第1回はよく覚えていますね。「田村」を舞った後、お客様の拍手にこれからの期待感というか、気持ちのこもった拍手を背中に感じました。
山井 30年は本当にあっという間です。僕は一昨年(2024年)脳出血で倒れて休演して、「鞍馬天狗」を舞う予定だったのですが、忍さんに代演してもらいました。当日の会の冒頭で、「僕たちは山井綱雄を待ってる」と言ってくれたみたいで…。あの日、発症して1か月くらいでまだ入院していました。代演してもらったのはありがたかったですが、悔しいという思いが強かった。それで、絶対に舞台に戻る、何が何でも戻ってやると思っていました。舞台復帰は12月の自分の会(山井綱雄之會)でしたが、「夜討曽我」をこのメンバーでやると以前から決めていましたから、戻れた時は泣きました。
髙橋 出番前に一人ずつ握手しに来るからみんなで泣いちゃってね(笑)。本番でも泣いてましたからね、もう目を見ないようにして舞台に立ちましたよ(笑)。
山井 だから、本当に戻って来られたことは幸せです。ここにこうしていられるだけで幸せなので、能楽師って無欲は良くないんでしょうけど、私は今の時点で十分満足です。

——本当に無事に舞台へ戻って来ていただいて良かったです。
井上 思い出深いのは、第18回(2015年)にやらせていただいた「西王母」で、この時は娘に初めて子方をさせました。娘が生まれた時にとても喜んでくださった仙田先生が、この時すでにお亡くなりになっていたので、先生に娘の稽古をつけていただきたかったな、とか、子方を見ていただきたかったな、という思いがありました。
また2020年のコロナ禍の折、能楽界全体が休んでいて、徐々に再開し始めた頃にSQUAREの公演があって印象に残っています。本当にお客様に来ていただけるのか、お客様を呼んでいいのか、と自問自答していました。そういうなかで、能を上演する意義とか、能を守って伝えてきた先人がいて、これから自分たちがそれを繋いでいかなければならない、ということを改めて考えたりしました。その公演が第24回(2021年)で、私は「夕顔」(金春流では復曲)を勤めましたが、お客様に足を運んでいただけたことが本当に有り難かったですね。
それと30年という時間が過ぎると、気づけば自分たちの立ち位置も変わってきたといいますか…。
髙橋 そうだね。座・SQUARE結成の前は、とにかく自分のシテを一生懸命やろうと思っていましたけれど、会を主催する、という時、能二番のうち、一番はベテランの先生に地頭をお願いして、もう一番は先輩方に頼らず地謡をがんばっています。この会を立ち上げてから、地頭をさせていただく経験が増えていきましたし、四人でとにかく稽古会をしようと、みんなでとにかく謡いました。おかげで地謡の重要性を改めて学ぶことができました。
お願いする囃子方も、一緒に学んでいく仲間ですから同世代の若い方々にお願いすることにしました。今は皆さんそれなりに歳を取られていますが(笑)。お囃子方は観世流のお相手をすることが多く、かつては金春流のことをあまり知らない方もいらっしゃいました。それで会の時に、囃子方といろいろ話す機会も増え、最近では若い囃子方にも金春流を囃せないという方はいなくなりましたね。
——今回、7月20日に第29回公演を迎えます。シテをされる山井先生と井上先生、それぞれの曲について教えてください。
山井 私は「佐保山」のシテを勤めさていただきます。「佐保山」は信高先生が復曲された曲で、金春流にしかありません。佐保山という山は奈良にあった山で、今は丘陵地で、聖武天皇などのお墓がある歴史的エリアになっています。能そのもののルーツは奈良と言えますが、金春流にとって特に奈良は重要です。今は分家の金春穂高さんや息子の飛翔(ひかる)君、嘉織(かおる)君が奈良を守ってくれていますし、現在も金春宗家が春日若宮おん祭や薪御能をやっていますから、奈良は金春流のアイデンティティと言っていい場所です。
シテは神舞か真ノ序ノ舞を舞うということになっていますが、今回は真ノ序ノ舞でやらせていただきます。女性の役で真ノ序ノ舞を舞う曲はほかにありません。また、家元ですと長キ真ノ序という小書で特別な演出をする場合もあるようです。
神舞にしても真ノ序ノ舞にしても、女神ですからその前後の位取(くらいど)りが難しくて、その辺りはまだ研究の余地があると感じています。でも曲としては春の爽やかな曲なので、自然をすべて神と考えてきた日本人の宗教心にも通じる、爽やかな神様を演じられたらいいなと思っています。

井上 私は「藤戸」のシテを勤めさせていただきます。先日、観世流の馬野正基さんの「藤戸」があって、お誘いいただき拝見しました。金春流では太鼓が入り、観世流さんでは太鼓が入らないなど、いろいろ違いがあって面白く、また勉強になりました。
見どころとしては、前場がお母さんで、後場では殺された漁師の幽霊が出てくる。前と後で人格が違う二人を演じるのですが、前場の母は、息子が殺されたことは察していて、息子を殺したワキの佐々木盛綱にせまる母の気迫を、自分ならどう演じるかと考えています。感情をストレートに出すのはではなく、余白の部分を作っておいて、そこをお客様に感じてもらえる舞台にしたいです。
前場ではワキが漁師を殺すありさまを語るのですが、ワキ方にとっても重要な語りだと聞いています。ワキ(野口能弘師)にもご注目いただきたいですし、私自身も楽しみにしています。
後場は漁師本人が殺されたありさまを仕方話で語る場面が、やはり一番の見どころになります。じつは信高先生に一番最後に習った曲が「藤戸」の仕舞でした。まだ20代で杖のものは舞ったことがなく、先生は一所懸命教えてくださったのですが、全然できなかった。その時、いつかこういう曲をしっかり舞いたいと思いました。ようやくその「藤戸」にチャレンジするので、気合いが入ります。
辻井 忍さんと私はそれぞれ仕舞の「松風」「野守」を勤めます。仕舞には能とは異なる魅力がありますし、私たちの気合いを見ていただければと思います。
髙橋 話は尽きませんが、ぜひ金春流にも興味を持っていただき、今回の「座・SQUARE」公演に足をお運びいただければ嬉しい限りです。
座・SQUAREより 2026年7月20日 第29回公演のお知らせ
金春流 座・SQUARE 第29回 公演情報
2026年7月20日(月・祝)13時 国立能楽堂
【番組】
能「佐保山」 山井綱雄
狂言「千鳥」 山本則重
仕舞「松風」 髙橋 忍
仕舞「野守」 辻井八郎
能「藤戸」 井上貴覚
【チケット】
SS(正面指定):10,000円
S(正面指定):8,000円
A(中脇正面自由):6,000円(学生2,000円)

