(続)三、三番目物
内容的には特色を指摘できないが、情緒としては、三番目物には幽玄一色という特色がある。幽玄は三番目物に限らず能全体の特色だと言えるが、特に三番目物は一曲全体を幽玄一色に塗りつぶしたように演じるのである。型も、謡も、囃子も、すべてが他とはおのずから違った一種特別な色調をおびてくるのである。能の舞台で〔次第〕の囃子一つ聞いただけで、ハハア三番目だなとわかるくらいのものである。
これを謡について言っても、三番目物の謡い口には三番目口調といったものがあるのである。どういうものかというと、謡の技術を最高の節度に運用することによって、その本来性ともいうべき幽玄の情趣を極度に発揮することである。いますこし具体的にいうと、声調は優雅にして陰影に富み、節扱いは繊細にして美しく、間は乗りを抑えて文章の情感を生かす、といったことになる。こうした謡い口を斯道では「位が重い」などというが、位の何たるかについては、「謡稽古の基本知識」に詳述しておいた。
素人謡では、この三番目物が謡えるということが自慢の種のようである。それもいい気持ちで文章の情感に酔いながら、節を楽しんで謡うといった程度ならば無事であるが、お天狗さんになると、三番目物というと、いたずらにテンポをゆっくりと謡って、それで位をとったつもりでいるから始末が悪い。なるほどテンポは位と密接な関係があることはあるが、前述のような声調、節扱い、間などの運用がこれに伴わなければ何の効果もない。中身が空っぽで、テンポだけをダラダラと謡うのは退屈以外に何ものでもない。
