人間国宝に宝生欣哉師、金剛永謹師、茂山七五三師

文化審議会は7月21日、新しく12人を重要無形文化財保持者(各個認定)、いわゆる人間国宝に認定するよう文部科学大臣に答申した。そのうち、能楽ではワキ方下掛宝生流宗家の宝生欣哉(ほうしょう きんや)師、シテ方金剛流宗家の金剛永謹(こんごう ひさのり)師、狂言方大蔵流の茂山七五三(しげやま しめ)師が認定された。

※また、重要無形文化財保持者(総合認定)の追加認定も発表されましたが、認定を受けられた方々は後日ご紹介します。

宝生欣哉師(本名 寳生)は1967年(昭和42)年東京生まれ。ワキ方下掛宝生流で人間国宝の祖父・宝生弥一、人間国宝の父・宝生閑に師事。2016年(平成28)に下掛宝生流13世宗家を継承した。2022年(令和4)に「関寺小町」、2023年に「檀風」等の重要曲を勤めている。また国立劇場伝統芸能伝承者養成能楽(三役)研修講師、京都能楽養成会研修講師を務め、長年にわたり後継者の少ないワキ方の人材育成に尽力している。

1976年(昭和51)「猩々乱」ワキにて初舞台。以来、1989年(平成元)「張良」、1992年(平成4)「道成寺」、 2003年(平成15)「姨捨」、 2009年(平成21)「檜垣」、 2022年(令和4)「関寺小町」 、2023年(令和5)「檀風」を披く。

2000年度(平成12年度)芸術選奨文部科学大臣新人賞、2010年(平成22)第31回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。

文化庁によると、師は「伝統的な能ワキ方の技芸を高度に体現する能楽師として活躍し、各曲のワキの役柄を的確に演じ、常に卓越した技量を示している。また、斯界の発展及び後進の指導・育成にも尽力している」とされる。

祖父の弥一師、父の閑師に続き、三世代で人間国宝となった。また、今年56歳を迎えた宝生欣哉師の人間国宝認定は、能楽界では最年少での認定となる。

金剛永謹師は1951年(昭和26)京都府生まれ。幼少より父である金剛流25世宗家金剛巌に師事。1956年(昭和31)に初舞台を踏み、1998年(平成10)26世宗家を継承した。能「雪」や「内外詣(うちともうで)」等金剛流のみに伝わる曲のほか、「薄(すすき)」等の復曲、「面影(おもかげ)」等の新作能の上演に積極的に携わり、意欲的な舞台活動を継続している。また2003年(平成15)には金剛能楽堂を約140年ぶりに移転開館するなど流儀の伝承基盤の整備にも尽力している。2012年(平成24)より京都市立芸術大学客員教授。2021年(令和3)からは一般社団法人日本能楽会会長を務め、後進育成や能楽界振興にも努めている。

1956年(昭和31)仕舞「猩々」にて初舞台、1958年(昭和33)「猩々」にて初シテ。1966年(昭和41)「翁」 、1972年(昭和47)「道成寺」、 2001年(平成13)「檜垣」 、2014年(平成26)「姨捨」を披く。

2016年度(平成28年)芸術選奨文部科学大臣賞受賞、2018年(平成30)紫綬褒章受章、2022年度(令和4年度)恩賜賞・日本芸術院賞受賞。

文化庁によると、師は「伝統的なシテ方金剛流の技法を高度に体現し、現在の能楽界を代表するシテ方の一人として重要な位置を占めている。また長年にわたり、後進の指導・育成にも尽力している」とされる。

シテ方金剛流の人間国宝認定は45年ぶりとなる。

茂山七五三師(本名 眞吾)は1947年(昭和22)狂言方大蔵流4世茂山千作の次男として京都府に生まれる。幼少より祖父・3世茂山千作及び父に師事。能の間狂言にも力量を示すほか、「枕物狂」「庵梅」といった狂言の三老曲と呼ばれる難曲でも成果を上げている。茂山千五郎家統率の立場にあり後進育成にも尽力し、また長年にわたり国内外への伝承者養成も継続、ひろく能楽の伝承・振興に力を注いでいる。

1951年(昭和26)「業平餅」子方で初舞台、1965年(昭和40)「三番三(さんばそう)」 、1969年(昭和44)「釣狐」、1978年(昭和53)「花子」、1990年(平成2)「狸腹鼓」、2019年(令和元)「枕物狂」、2023年(令和5)「庵梅」を披く。1995年(平成7)茂山七五三を襲名。

2007年(平成19)京都府文化賞功労賞受賞、2009年(平成21)名張市市政功労者特別表彰者、2011年(平成23)京都市文化功労者表彰、2015年(平成27)京都市芸術文化協会賞受賞、2019年度(令和元年度)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

文化庁によると、師は「大蔵流茂山家の狂言の技法を高度に体現し、かつ独自の芸風を確立している。現在の能楽界を代表する狂言方の一人として重要な位置を占めており、後進の指導・育成にも尽力している」とされる。

祖父の3世千作師、父の4世千作師に続き、三世代で人間国宝となった。