著者のことば
その曲に描かれた曲趣を味得し、これを謡で表現することは、謡稽古の最終の段階であり、またその究極の目的であるが、これがなかなか言うべくして行ないがたいのである。というのは、曲趣といったものは、数多くの書物を読んだり、たびたび能を見たりするうちに、自然に会得されるものであって、なまなかの稽古だけでは、表現はおろか、解釈すらできるものでないからである。
そこでたいていの人は、曲趣などにはあきらめをつけて、謡はただ楽しくうたいさえすればよいといったふうに割りきっているようであるが、中にはまた、できることなら曲趣にも足を踏み入れて、もっと高度な趣味を身につけたいと思っている人もある。本書は、そうした人々のために、多少とも曲趣勉学のきっかけともなり、手がかりともなろうかと思って書いたものである。
この種の書物も、ここは「サラリ」とか、「閑カニ」といったように簡潔に書けば、気の短かい人には手っとり早くてよいのかもしれぬが、これに曲趣なり文章の情感の結びつきがないと、血の通った生きた謡にはならない。本書は、一度読んだだけではおわかりにならないと思うが、暫く時を隔てて、自分の技術の進歩と併行して二度三度と繰り返し読まれたならば、必ずお役に立つ時節が到来すると信じている。
内容で一言すると、曲趣の解釈については、古来の通説と目すべきものを伝えることとしたが、私自身の独創的解釈も若干ある。たとえば狂女物で、物ぐるいと狂乱との相違を説いたり、そのまた物ぐるいが醒めたあとの狂女の心持を説いているがごときであるが、むろんそれを絶対のものとして主張するわけではさらさらない。
昭和四十一年五月(三宅秔一『謡い方百五十番』より)