【インタビュー】「花の会」復活に向けて〜森常好師、一噌隆之師、坂口貴信師に聞く〜

12月26日(日)に観世能楽堂で行なわれる「花の会 第21回 東京公演」に向けて、森常好(ワキ方宝生流)、一噌隆之(笛方一噌流)、坂口貴信(シテ方観世流)の三師にお話をうかがった。

「花の会」とは

森:花の会は1998年頃、私と一噌隆之さんと観世元伯さんが、観世能楽堂の、ある会の後で「地方で新しい会をやってみよう」と話をしていたら、そこに御家元がいらしたんです。九州には大濠公園能楽堂という立派な能楽堂があって(2021年は改修工事中)、東京の人にはその舞台に出ることにちょっとした憧れがありました。御家元も、地方のお客様に質の高い舞台を見ていただきたい、また、ご自身も観世会などで観世宗家の看板を背負って東京で舞台をなさるのではなく、少しだけ自由さをもって、舞台をなさりたいというお気持ちもおありだったので、御家元にシテをしていただくことになりました。

それで、2000年12月に第1回公演を大濠公園能楽堂で二日間開催しました。事前のワークショップも行なったのですが、当時は「ワークショップって何だ?」というくらい、その言葉がまだ根付いていない頃でした。それ以降、九州で公演を重ねました。能には九州が舞台になっている演目も多い。復曲の「鵜羽」や「箱崎」もそうですが、ちょっとめずらしい演目を行なうことも多かったです。当時の九州にはお弟子さん(お稽古をしている方)がとても多く、花の会会員も300人くらいいて支えてくれていました。ところが、2017年に元伯さんが亡くなってしまって、それで花の会をどうしようか、と我々もとても暗いムードになってしまっていたんです。そして一昨年、「元伯を偲ぶ会」として東京公演を行ない、昨年3月に「最終公演」と銘打って九州で公演を行ないました。

左から、坂口貴信、一噌隆之、森常好の各師

最終公演から復活へ

一噌:お弟子さんの高齢化の問題も大きいと思います。九州の会はお弟子さんに支えられてきた部分が大きかった。

森:戦後生まれの私が生きてきた中で、能楽界が大変だったのは震災の時でした。でも、それ以上に今回のコロナ禍は有無を言わせず次々と公演が中止になり、何もすることができず本当に悔しい思いをしました。能楽界だけでなく、すべての人が辛い思いをしています。最終公演は、実施はしましたが、コロナ禍で多くの方のチケットの払い戻しに対応したり、すっきりしないままの最終公演となってしまいました。

一噌:東京では能のお稽古をされている方だけでなく、観劇として舞台を見に来られるお客様も結構いらっしゃいますけど、先ほども言ったように、九州のお客様は圧倒的にお弟子さんが多かったんです。これからは、これまでどおりに会をやっていくのは難しい。大きく外へ向けた発信をして、お弟子さんだけではなく一般の方々に何を伝えるか、ということに重点を置いてやっていきたいと考えました。

坂口:現在の地方の状況は、近未来の東京の状況と考えられるかもしれません。それがコロナ禍で早まった可能性があると思うと、大変危機感を覚えます。

森:コロナ禍で動画配信なども盛んですが、やはり生の舞台で、同じ空間で感じてもらいたい、と強く感じました。特に能は歌舞伎やほかの古典芸能と違って写実的ではなく、象徴的ですから。例えば、泣くという演技はおいおいと声を出して泣くわけではなく、「シオリ」という象徴的な演技で伝えます。そういう演劇はなかなか世界にはありません。この文化を伝えていかなければならない、と強く思っています。そうでなければ、能はコロナと一緒に沈んでいってしまう、という危機感を持っています。ですから、新たなお客様を増やしていかないといけないという思いで、これを機に花の会を復活させよう、ということになりました。

今回の公演について

森:我々は、動きが少ない演目のほうが能の真髄である、と思っている部分があります。でもそれは演じている側の自己満足かもしれません。見に来られた方が、「能って面白いな」と思っていただくことが大切ですから。

一噌:何度も能をご覧になっている方でしたら、動きが少ない演目でも、例えば「今日の『定家』は良かった」とか、そういう感想になるのかもしれませんが、初心者の方にはまず動きがあって、視覚的にも華やかな演目から入っていただければよいかと思います。歌舞伎などと違い、能は地味ですし、舞台に上がる人数も少ないですからね。

森:能楽堂に足を運んだことのない方、初心者の方にわかりやすい公演、観ていて飽きない公演を、ということで今回の公演を企画しました。

坂口:世界的ファッションデザイナーがデザインされた装束を使用して現行曲を演じる、というのが今回の趣旨ですが、「胡蝶」の装束は2002年に森英恵先生が作られて、オーチャードホールで御家元が舞われました。「紅葉狩」の後シテの装束はコシノジュンコ先生が作られて、昨年、観世能楽堂で御家元が舞われましたので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。ファッションデザイナーが作られた装束を着けて演じるということを、これまでの時代の流れの中で御家元が求められて、その演目が「胡蝶」と「紅葉狩」ということになります。どちらの装束も観世宗家に納められています。

「紅葉狩」観世清和
©花井智子 写真提供:ACT4

昨年、東映のスペクタクルライブステージ「神・鬼・麗 三大能∞」(最新技術映像を用いた演能)では、私が「高砂」「胡蝶」「紅葉狩」を演出・出演させていただきましたが、その時に御家元から、森英恵先生の「胡蝶」の装束が、映像ステージの演出にも合うのではないかと仰っていただき、使わせていただきました。また、その際に胡蝶の精が一人では寂しいのではないか、ということで、「吉野天人」の小書「天人揃」のように、ツレに蝶の精を出したのですが、今回も同様にツレとして蝶の精が二人出ます。今回は、御家元が「蝶戯之舞(ちょうぎのまい)」という小書を新たに発案され、これまで観世流になかった小書演出を初めて皆様に御覧いただくことになります。蝶の天冠(てんがん)も新たなものにし、装束だけでなく小道具などもわかりやすく工夫していきたいと思います。

また、狂言の装束はコシノヒロコ先生デザインの肩衣と聞いております。それぞれの先生にお許しをいただいて、今回、実現することになりました。世界で活躍されるファッションデザイナーの装束の競演という部分でも大変貴重な機会だと言えますね。

森:「紅葉狩」は通常の「鬼揃」ですと、ワキとシテの戦いのシーンしかありませんが、今回は坂口さんに考えてもらって、ワキがツレの鬼たちと一対一で次々と戦っていく、という、まるで『鬼滅の刃』のワンシーンのような演出になっています。群舞のシーンを戦いのシーンに置き換えたわけですけれど、今まで誰もやったことがないんですよ。鬼とは女性の心の象徴ですから、人間が鬼となっているわけです。僕が竈門炭治郎のように鬼退治をしていきたいと思います(笑)。

花の会のこれから

森:今回の公演を機に、公演を続けていきたいですね。花の会のこれからのコンセプトとしては、「次世代につなげる」ということなんです。

一噌:これまでの花の会では、観世三郎太さんは子方をされていましたが、これからはシテをやっていただきたいですね。野村萬斎さんの息子さん、裕基さんも今回出演いただきますが、そういう次世代の方たちへバトンタッチする思いも含めての復活です。

森:そして、九州に帰って復活宣言をしたいと思います。三郎太さんをシテにお願いして、大々的に九州でリニューアル花の会を開催したいですね。坂口さんは花の会立ち上げ当初はまだ20代でしたが、いまや九州が生んだ観世流のエースですから、次世代の方たちのバックアップもしてくださるでしょう。

坂口:私は花の会同人ではありませんが、書生時代からそばで拝見していますと、同人の皆さんが30代、40代の頃は役者として自分自身の研鑽のため、復曲や新作などの演目を会でされていたのだと思いますが、それから20年経って、立場も変わり、広くわかりやすいものを皆さんに御覧いただくという発想に変わられたのかな、と思います。僕は福岡出身ですが、九州だけでなく、他の地方で花の会のような会をしていただくことが、コロナで打撃を受けた地元の能楽師たちや、能楽界を励ますことにつながっていくと思います。

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