故山本則俊師のご長男の山本則重師と、ご次男則秀師が主催する「則重則秀の会」の第15回は、「山本則俊三回忌追善」と題し、9月20日に国立能楽堂で開催されます。
「則重則秀の会」と、お父様の則俊師を偲ぶ思い出などについて、則重・則秀ご兄弟にお話をうかがいました(最後にお二人の動画もございますのでぜひご覧ください)。

山本則重師(やまもと のりしげ)
狂言方大蔵流
1977年生まれ。父・故山本則俊および伯父・山本東次郎に師事。5歳で初舞台。重要無形文化財保持者総合認定。

山本則秀師(やまもと のりひで)
狂言方大蔵流
1979年生まれ。父・故山本則俊および伯父・山本東次郎に師事。5歳で初舞台。重要無形文化財保持者総合認定。
——「則重則秀の会」についてお伺いします。
則重 僕が40歳、則秀が38歳の時に、私たち二人で舞台に立つことが少ないと気付きました。シテ方主催の会ですと、間狂言と本狂言のオファーを同時にいただきますから、僕が間狂言をして、則秀が狂言の太郎冠者とか、そんな感じで舞台に立つことが多かったんです。
そうしましたら同世代の友人たちが、「二人で狂言をやってるのを見たい」と言ってくれたんです。なるほど、と思いまして、働き盛りの世代の友人たちでも来られるようにと、金曜日の夜公演にして年2回やろうと、2017年に始めたのが「則重則秀の会」です。
年2回ですと50年後は100回になります。僕が90歳で則秀が88歳のその時に、第1回で演じた狂言「附子」を再演しよう、それを目標としてがんばってやろう、と則秀と話して始めました(笑)。実現するかわかりませんが、そうなるといいなと思っています。
僕も則秀も子どもが生まれまして、子ども向けと大人向けの公演に分けてやっていたのですが、今は年齢制限のようなものは設けずに誰でも来ていただける会にしています。
今、話しました私の子どもの長男・則光(のりみつ 9歳)、次男・則陽(のりはる 7歳)も、則秀の長男・則匡(のりまさ 7歳)も狂言を始めまして、則重則秀の会で子どもたちの狂言も見てもらえるようになりました。子方は本来、大人の中に入って狂言をやらないと勉強にならない、と伯父の東次郎には言われてきましたし、普段、子どもだけの狂言はしないのですが、今回の公演では父の追善ということもあり、お許しをいただいて孫たち三人だけで狂言「口真似」をさせることにしました。

——お子さんたちに教える立場になられて、いかがですか。
則重 僕たちが父に教わっていた時、とにかく父は、ワーッ!と怒ってましたね(笑)。父としてはいろいろな気持ちがあったんだと思いますが、それがようやくわかるようになってきたのは、自分が子どもを教える立場になってからです。父もこんな気持ちだったのかな、とか。そういうふうに追体験することがとても増えましたね。
則秀 息子がセリフを全然覚えないので、僕も困ってしまって、亡くなる前、入院中の父に相談したことがありました。そうしたら「怒らないであげて」って言うんです。「根気強く忍耐強く教えてあげて」って。もう、どの口が言っているのかとびっくりしました。僕らにはあんなに怒っていたのに(笑)。
孫がとにかく可愛かったんだと思いますし、子どもたちも「じいじ、じいじ」と、とても懐いていました。父はもしかしたら、僕らにも怒りたくなかったのかもしれません。でも本番の舞台は近づいて焦る気持ちが、今ならとてもよくわかります。舞台ではやはり、子どもに失敗して悲しい気持ちにさせたくないので。
「根気強く忍耐強く」「怒らないであげて」というのは父の遺言だったのかな、と今は思っています。
則重 自主公演を開催するのは本当に大変なことで、シテ方のみなさんはすごいなと思います。出演オファーから、会場をおさえて、チケットの手配や、告知、宣伝、だれに伝えるかとか、今回こういったインタビューもしていただきましたが、すべて自分たちでやらないといけない。
そこに子どもの舞台がありますと、子どもの稽古につきっきりで、自分を犠牲にしないと成り立たない。これまでやってきた経験から、自分の舞台はそれなりになんとかなるとは思いますが、自分の舞台がいちばん後回しになってしまう、ということを東次郎に話したら、「それは仕方ない。会を主催するというのはそういうものだ」と言っていただいて、少しホッとしました。
——今おっしゃっていたお稽古のことなど、則俊先生の思い出はいかがですか。
則重 稽古ですと、とにかく怒られました。何を言ってるのかわからないくらい怒るんです。父は、祖父(3世東次郎)に教わった通りに僕たちに教えていたようでした。セリフがない時や、所作が何もない時に怒られることが多かったですね。「ひじが落ちてる!」 とか。少しでも気を抜いたり、スキを見せたらだめ。祖父から言われていたのだろうと思います。
小学生の頃、父はいつも瞬間湯沸かし器のように怒って、でも稽古が終わるとケロッとして、お稽古の終わりの挨拶をした途端、「じゃあ、キャッチボールやりに行こうか」とか言うんですよ。子どもの僕は、さっきまで父に怒られた悲しい気持ちをまだ引きずっているから、「えっ、キャッチボール!?」 ってびっくりしますよね(笑)。
そういう切り替えができる冷静な部分が、父にはありました。他の能楽師も持っている切り替え術かもしれませんが。稽古で怒っていただけで、機嫌が悪いということはなかったですし、引きずらないのは徹底していましたね。始まりと終わりの挨拶で切り替えるんです。
それで言うと、一家は仲良いんですよ。「兄弟仲良くやりなさい」と父はよく言っていましたが、僕らのお祖父さんの東次郎から、父もそう言われたようです。たとえ喧嘩をしても、次の日にも舞台はある。そこでギスギスしてたら舞台が成り立ちません。だから切り替えるんです。
則秀 休みの日も一緒に出かけたりします。普通はあり得ないですよね。仕事場も一緒なのに休みの日も一緒に遊んで、「また明日!」って言って、翌日に舞台で会う。以前は父と、伯父の則直(のりただ)とも一緒に出かけていました。絆が強いというか、面白い関係だと思います。
今は兄のところの次男とうちの長男が同い年なので、「明日どうすんの?」「別に何もない」「じゃあ公園行く?」と、舞台の次の日も一緒に公園に行ったり(笑)。子供たちの仲が良すぎて引き離すのが大変です。それは舞台や狂言じゃないところでも心底つながって、関係性を作っているということでもあると思います。
則重 ちょっと、稽古の話しなのに、ぜんぜん違う話ししちゃってるじゃない(笑)。
則秀 いや仲が良かったって話しでしょ(笑)。

則重 僕が大人になってから、父が、子どもの頃の僕らを怒っていたことを「かわいそうだなと思ってた」と言っていたことがありました。そんなふうに思っていたのか、と思いましたね。
則秀 僕らも年をとって、やっと父が認めてくれたのかなという感じはありましたね。父は親子で狂言をするのが好きだったんじゃないかと思います。
則重 父自身は、東次郎家の三男に生まれて、東次郎と狂言をやる時は緊張すると言っていました。東次郎の「間」を取っちゃうんじゃないか、と心配したみたいですが、絆は強かったと思いますね。
則秀 僕らと狂言をするときは、遠慮なくやれて楽しかったんだろうと思いますね。
則重 僕が稽古をしていると、病気で動けなくなった後でも、父はいつも後ろで付けてくれていました。最近一人で稽古をしていると、後ろからの声がなくて、「ああ、父はいないんだな」と思ったりしました。ありがたかったな、と最近になって感じています。
則秀 いまだに父がもういないことに、実感がないんです。最近、改修工事が終わって新装開場した喜多能楽堂の楽屋に行って、「あれ? 父がいないな」と思ってしまいました。改修前の喜多能楽堂には必ず父と一緒に行っていたからでしょう。そんなことを繰り返してやっと、「ああ、いないんだな」と実感し始めたようなところです。
——改めて今回の則重則秀の会の見どころを教えてください。
則秀 僕らの子どもたち三人は、じいじのことが大好きだったので、その三人が「口真似」で一緒に舞台に立つということで、父はとても喜んでくれるのではないかと思います。僕は大曲の「楽阿弥」に挑戦します。それから父が好きだった「髭櫓」もみんなでやりますので、ぜひ楽しみにしていただければと思います。
則重 父は人を喜ばすのが大好きな人でした。そんな父同様、皆さんに喜んでもらいたいと思っています。ぜひ足をお運びいただけたら幸いです。
(2025.05.25 檜書店にて)
なお、「則重則秀の会015」は、檜書店が主催する「能トモプロジェクト」vol.5のピックアップ公演です。
能トモで公演チケットをお申込みいただくと、公演当日、山本則重師・則秀師による狂言解説が特典として付いてきます。
山本則重師・山本則秀師より公演のお知らせ


則重則秀の会015〈山本則俊 三回忌追善〉
公演情報
2025年9月20日(土)14時 国立能楽堂
【番組】
狂言〈楽阿弥〉 山本則秀 ほか
狂言〈口真似〉 山本則光 ほか
一調〈杜若〉 宝生和英 太鼓・金春惣右衛門
狂言舞囃子〈法師が母〉 山本東次郎
狂言〈髭櫓〉 山本則重 ほか
お話し 山本則重・山本則秀
【チケット】
SS席 8,000円(完売)/S席 7,000円/A席 5,000円/A席U18 2,500円/B席 4,000円/B席U18 2,000円
※表示は税込価格
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