国立能楽堂が取り組む、能装束の復元 〜佐々木能衣装による「厚板」製作の記録【前編】

東京・千駄ヶ谷に約8000平方メートルの敷地を有する国立能楽堂。正門から玄関までの広々とした前庭、木の柱を活かした大空間のロビー、野山のように草木が根を下ろす中庭など、能舞台までのアプローチも悠々として訪れる人を能楽の世界へと誘う。

国立能楽堂の中庭(秋)

昭和58年に開場した国立能楽堂は、能楽専門の劇場として年間約60回の主催公演を行う他、貸し劇場としても利用され一年を通して多くの能楽公演が行われている。観客の私たちにとっては、さまざまな流儀の公演が見られる「公共の劇場」という印象が強い。

だが、それは国立能楽堂の取り組みの全てではない。舞台の背後にあるバックヤードでは、「養成事業(能楽師の後継者育成)」、「調査・研究」も日々行われている。「貴重な古い能装束を復元する」という取り組みも「調査・研究」のひとつ。どのような意図で復元しているのか。独立行政法人 日本芸術文化振興会 国立能楽堂副部長の諸貫洋次さんに、話をうかがった。

国立能楽堂副部長の諸貫洋次さん。公演制作に関わる能楽専門のプロデューサーとしての仕事も長く担当してきた

舞台に活かすための復元

国立能楽堂が取り組む能装束の復元は「調査・研究」のみならず、「公演事業」と連動する形で行われているところに特長がある。これまで復元した点数は、平成15年度以降の記録によると7領(装束は領と数える)。厳密にいうと復元ではないが、それに近い意図で製作をしたものも3領あるという。

国立能楽堂は、古い時代に作られた上質な能装束を収集・研究し、折々に能楽堂内の資料展示室で展示を行っています。古い装束は経年劣化のため、展示はできても舞台での使用に耐えられないものも多くあります。しかし、古い装束を写して新しく製作する、つまり復元すれば能楽師に使用していただきお客様に舞台でご覧いただくことができます。能装束は、舞台で使ってもらうことで本来の美しさが表れます。復元をして舞台で活用することに、大きな意義があると感じています。

平成27年度に復曲能〈名取ノ老女〉のために復元した紅地白鷺太藺模様縫箔べにじしらさぎふといもようぬいはく
(製作:佐々木能衣装)

令和の時代に入ってから復元は行われていなかったが、令和5年度に縫箔ぬいはく1領を復元。続いて令和6年度は、2025年3月に上演予定の復曲能〈武文たけぶん〉での使用を視野に入れて、厚板あついたを復元することとなった。
※〈武文〉公演情報は最後のページへ

*小袖の形をした能装束のうち、金や銀の摺箔すりはくと刺繍で模様を表したものが縫箔。織の技術で稲妻など直線的な幾何学模様を多く表現したものが厚板。

令和6年11月30日の国立能楽堂企画公演〈住吉詣〉にて舞台で初めて使用された。
能〈住吉詣〉シテ:観世喜正 ツレ:佐久間二郎 / 提供:国立能楽堂 撮影:芝田裕之
茶納戸段毘沙門亀甲繋獅子丸模様厚板
(国立能楽堂所蔵)

復元する装束の正式名は「茶納戸段毘沙門亀甲繋獅子丸模様厚板」。漢字だらけの名称だが本体は最後の「厚板」で、これを説明する言葉が積み上げられている。ひとつずつ読み解けば、装束の全体像が浮かび上がる。

・茶納戸段(ちゃなんどだん)…地の色が茶色と納戸色(青色の一種)の段になっている

・毘沙門亀甲繋(びしゃもんきっこうつなぎ)…亀甲紋の一種である毘沙門亀甲柄の連続したものが地組織で表されている

・獅子丸模様(ししまるもよう)…獅子丸という図案が文様として織りで表現されている。

この厚板は平成16年に国立能楽堂が購入したもので、製作時期は18世紀、出光美術館の旧蔵品であったことがわかっている。珍しい柄ゆきで大変豪華であるが、なにぶん古いため公演で使用したことはないという。

復元した装束は、なるべく舞台に出してあげたいという気持ちがあります。長い目でみると、このたび復元する厚板もおそらく100年後くらいには傷んでしまうことでしょう。でも、その時代の誰かがまた復元をして、新しく生まれ変わらせ舞台で使うかもしれません。優れた装束は人間の時間を超えて生き続けていくのだと思います。