国立能楽堂が取り組む、能装束の復元 〜佐々木能衣装による「厚板」製作の記録【前編】

そしていよいよ獅子丸模様の分析に入る。絵柄のパターンが何種類あるのか、私たちも加わって調べていく。獅子丸模様はそれぞれ色が微妙に異なっているため、たくさんの種類があるように見えた。トランプの神経衰弱ゲームのように「あれとこれは一緒? いや違うか?」と目を皿のようにして照合していく。

6人掛かりで調べた結果、獅子の口の形が開いて舌が見えている「阿」と、閉じている「吽」の阿吽で1組の図案があり、それを反転させた図案が1組、合計4種類の獅子丸のパターンがあることがわかった。

顔が左向きで口を開いた「阿」の図案
同じく顔が左向きで口を開いた「阿」の図案
顔が左向きで、口を閉じた「吽」の図案

調査を進めていくなかで、佐々木さんは気になることがある様子だった。獅子丸模様は、織りの手法で表現されているはずだが、やや不自然なところがあるからだ。ルーペで糸の状態を詳しく観察していくと、ところどころに刺繍が加えられていることがわかってきた。縫箔には刺繍をするが、通常、厚板には刺繍はしない。佐々木さんは「ここは、ちょっと怪しい…」とつぶやきながら、刺繍が加えられた箇所を確定していく。

獅子の顔が右向きで、口を閉じた「吽」の図案。
丸の外側の薄い黄緑色と丸の左側の濃紺の部分は刺繍であると判明
袖山そでやまにも、刺繍が加えられていた。

どうしてこんなに刺繍を施したのだろう。そんな疑問を抱えながら佐々木さんが装束のあちこちを探っていくと、次第に刺繍をしなければならなかった事情が判明してきた。ヒントは、えりにあった。よく見ると、襟の中央が繋ぎ合わせられていたのだ。

襟の中心をつなぎ合わせた箇所。濃紺の糸の刺繍でつなぎ目が隠されている

ここでまた、能装束の基本情報をお伝えする。一般の着物は、一枚の反物にハサミを入れて仕立てるが、厚板は袖、身頃、そして襟と衽を合わせた1枚を、パーツごとに別々に織って縫い合わせる。つまり、襟の中央を繋ぎ合わせるということは通常しないのだ。なぜわかったかというと地組織の模様がずれていたから。その不自然なつなぎ目を刺繍で隠していたのだ。

襟だけを刺繍で修繕すると不自然なので肩山の傷んだ箇所や、獅子丸模様などにも刺繍を入れて、全体のバランスをとったのではないかと思われる。

そこから佐々木さんの目は衽にも及び、最終的に襟と衽の仕立て替えが数回行われたのではないか、という推測が導かれた。昔の職人が知恵を絞って修繕した証。その苦心の様子が思い浮かんだのか「修繕技術がとても高いですね」と、佐々木さんはちょっと嬉しそうに言った。

下前の衽と身頃の柄がずれている箇所。
仕立て替えをする前は、地組織の段の色がそろっていたと思われる。

さまざまな疑問が解けたところで、佐々木さんはおもむろに風呂敷から色見本の糸を取り出し、色の確認をはじめた。地組織の色は白、茶、納戸の3色。獅子丸模様は10色で織っていくという。佐々木さんは、さっと短時間で写真を撮影し、地組織についての数字や色の番号をひかえた小さなメモを3枚とっただけ。持ち帰る資料は、「え?これだけ?」という程少なかった。高性能のカメラやスキャナーなど便利な機械がたくさんある現代。私たちはなんでも機械に頼ってしまいがちだが、佐々木さんはこの厚板をまるごと目と心で記憶しているように見えた。

復元の方針を相談する

最後に、佐々木さんと国立能楽堂の間でどのような方針で製作するかが話し合われた。まず刺繍について。襟や獅子丸模様などに施された刺繍は加えず、製作当初の形にすることとなった。そしてサイズがかなり小さいので、現代の能楽師が着用できるよう丈と裄を伸ばして仕立てることとした。