国立能楽堂が取り組む、能装束の復元 〜佐々木能衣装による「厚板」製作の記録【前編】

復元という仕事について

調査を終えた佐々木さんに、改めてこのたび復元する厚板について話をうかがった。

——「茶納戸段毘沙門亀甲繋獅子丸模様厚板」は18世紀の製作とのことですが、調査をされて印象はいかがですか。

獅子の柄や亀甲の柄も凝っていますし、織る人の技術も高いと感じました。昔の糸は、太かったり細かったりとバラツキがあるんです。でも、測ってみたら1寸のなかの糸の数が、どこを見ても揃っていました。亀甲のような幾何学模様は単純なように見えて、織りを間違えたら目立つので案外、難しいんです。

裏地は紫の紅絹(もみ)がつけられていましたが、江戸時代には紅絹は存在しませんので、おそらく大正時代あたりに裏地を付け替えたのではないかと思います。襟と衽の仕立て替えの跡も見られましたし、腰の部分は胴帯をしめて擦れた跡がありますので、そこそこ舞台で使っていたのではないでしょうかね。

——この厚板は、どんな曲に使われていたと思われますか。

〈望月〉の後シテの被衣や、ワキの〈羅生門〉や〈張良〉などにも似合うように感じます。

——修繕という意味合いもあるのでしょうが、ずいぶん豪華に刺繍がしてありましたね。

そうですね。ふつうはあのように手間がかかる修繕はしません。お金の心配はしなくていいから、思う存分やりたいように修繕してください、と言われてやった仕事のように見えました。大名など大きなスポンサーがいたのかもしれません。これまでも復元の仕事を手がけてきましたが、江戸時代の装束は予算をたっぷりかけてあるものが多いですね。

——調査をしているときは、昔の職人と対話しているようにも見えました。

昔の装束を見ると、結構手間のかかること、今の時代だとこんなことはできないなということをやっていたりもします。逆に、いい加減な仕事をしてるな、という場合もあります。作った人の技量や仕事に向かう姿勢というものが、すべて装束に刻まれるわけです。私も後代に恥ずかしくないような仕事をしなくてはと思います。

さて、このあと京都の佐々木能衣装でどのように厚板が作られるのか。その様子は後編でご紹介します。(厚板が完成したら、再び二人の洋次さんにお話しうかがう予定です)

※この連載は前編・後編 2回にわたって連載します。

*今回復元した厚板を使用する予定の3月特別企画公演・復曲能〈武文〉の公演情報ページはこちら

「伝統芸能の道具ラボ」主宰 田村たむら 民子たみこ

1969年、広島市生まれ。能楽や歌舞伎、文楽などの伝統芸能の裏方、職方を主な領域に調査や執筆を行う。作れなくなっている道具の復元や調査を行う「伝統芸能の道具ラボ」を主宰。観世流のお稽古歴、7年。

東京新聞などに執筆。