二、修羅物
脇能を離れて修羅物にはいると初めて人間を描く能となる。修羅物は武将の幽霊を描いたもので、全部夢幻曲である。人間を描く夢幻曲は次の三番目物もそうであるから、この二つは一脈相通じるところがある。武人と美人が似ているというとおかしいようだが、人間を詩の対象として描いている点で、どこか共通の趣があるのである。
修羅物の名のよって来るところは、現世で合戦闘争を事とした者は死して修羅道に墜ち、毎日定刻に戦いをさせられる苦患を受けるという仏教思想にある。そこで修羅物をその名のごとく単純に解すれば、源平の大将株が旅僧の前に現われて、苦患を訴え、成仏のために回向を頼むというだけのことになるが、真のねらいどころはもっと深いところにある。

修羅物は十六番あるが、そのうち勝利者を描いたものは〈田村〉〈屋島〉〈箙〉の三曲だけであって、他はことごとく敗軍の将である。敗戦は、戦勝よりもストーリーがあり、ロマンスに富んでいる。したがって劇としても詩としても興味があるからである。能はさらにこれをいっそう能らしくするために、修羅道の苦患を持ち出したり、前場の化身の間に詩趣を盛ったりしている。
修羅物の中には、〈清経〉のごとき、〈通盛〉のごとき、また〈朝長〉のごとき、ストーリーそれ自身で情趣の濃やかな曲もあるが、何といっても戦いを語る武人であるから、恋を語る美人などと比べると、詩趣に乏しいのは否めない。そこでそれを補ったものが前述のような工作である。では修羅物のどこに詩があるかということを、前場と後場とに分けて少しく探求してみよう。