多くの修羅物の前場には、古戦場の景趣といったものが描かれているのであって、謡もヨワ吟が主となっている。つまり化身の間に他の夢幻曲に見るような詩趣を味わわしめようというのである。このことは、〈田村〉〈屋島〉といった勝利の曲で、後場が殺風景な戦い一色になっている曲ほど、よけいにそうした工作が施されているようである。
ワキがもの寂びた旅僧だということからして一つの詩であるが、その旅僧の前に武将の幽霊が尉の姿などに化身して現われ、古戦場を偲ぶ物語をするが、そこには附近の名所とか季節の風物などが織りまぜられているから、見物は身みずから古戦場にあって深い詩情に打たれている思いがする。やがて[中入]の[ロンギ]となって、古名将の面影をほのめかしながら消えて行く姿も一つの詩というほかない。
そうした前場の情趣は、ひとり修羅物にかぎらず多くの夢幻曲に見るところであるが、たとえば三番目物の前場などと比べると、修羅物の主人公は武将であるから、その化身たる卑賤な老人の姿にもどこかそれらしい気品と気魄がこもっているし、またその物語の中心は古戦場の有様にあるのだから、同じく詩にしても、修羅物の詩にはいわば墨絵でも見るような素朴な味がある。この味をしっかりと噛みしめて、ワキも、シテも、地謡も、すらりと淡々と謡いながらよくその情趣を表現するのが、修羅物前場の謡い口というものである。
