後場は名将義経の颯爽たる英姿一色に、いささかの弛みもなく勇壮に謡うべきであるが、勝修羅といえども修羅物であるから、単なる戦争ごっこのようにならないで、前に言ったように、どこかに修羅の苦患といった陰影の添った幽玄味が必要である。そうすれば末段の「春の夜の波より明けて」以下の文章にも情趣が出る。
なおこの後場では、冒頭のシテの[サシ]から、ワキとの掛合、それを受けた地[上歌]までが広い意味の後シテの出の場面といってもよい。その間の謡い口には変化があるが、気分はずっと一貫していて、シテもワキもいわば一気に謡って行き、それを受けた地[上歌]もシテの動きにつれて乗りよく急調に謡うのである。私はこの地を「後場の初同」と称する。これは夢幻曲の後場にはよくある型式であって、詳細は『謡稽古の基本知識』で見られたい。
転じて[クリ]―[サシ]―[クセ]になるのも常型であるが、この曲は[サシ]で弓流しの一条がコトバもまじって長々と続いているのが異常である。しかしここは小書がないかぎり何の型もないところだから、全部を普通の[クセ]前の[サシ]のつもりで謡ってよいと思う。[クセ]のあとに〔翔〕があって[キリ]になり、修羅乗で激しく乗るというのも修羅物の常型である。
