前シテは里の老人であるが、普通の曲と違って、この老人には実盛の霊ということがはっきりと打ち出されている。ワキもただの行脚僧などではなく、名だたる高僧の巡行であり、二百余年の歳月浮かみもやらなかった実盛の霊が、その上人の法場に幻のごとく現われて随喜の涙を流し、ひたすらに成仏往生を希求するというのであるから、いかにもそうした亡霊らしく謡わねばならぬ。上人に強いられてはっきりと実盛の名を明かしてからは、気を改めて実盛らしい権威を持って謡うべきではあるが、後シテのようになっては悪い。どこまでも草葉の陰から現われた亡霊の心持で謡うことが肝要である。

後シテは朝倉尉―白垂―梨子打烏帽子、法被―半切という異様ないでたちであって、太鼓入りの登場楽〔出端〕で出る。この実盛は上人の別時の称名による極楽往生を念願して出てくるのであるから、頼政とはよほど心持が違う。
戦さ語りは、討死した実盛の首実検、錦の直垂を賜っての出陣、戦死の現場の三段に分れる。これは報恩のための懺悔話として語られることになってはいるが、そんな点には捉われないで、よく実盛なる剛気な老将の風格を味得して、その剛勇振りと、力尽きて枯木のごとく倒れて行く老武者の悲痛な心情を表現するがよい。真底の強さにおいてはこの曲が一番かもしれぬ。
