―忠度―
主人公は武人でありながら修羅の苦患に悩むのではなく、前後を通じ和歌への執着をもって終始している。しかし末段討死のところは紛れもない修羅物であるから、この曲も歌人忠度の武将としての風格を味わうことに重点をおいて解釈するのが正しい。とすればこの曲もまさに修羅物たることは疑いない。前シテは塩木を運ぶ賤しい老人であるが、歌人忠度の風雅なおもかげと、武人忠度の武将らしい気品とがどこかにほの見えるように謡えば、趣の深いよい前場になる。

後シテは中将の面をかけた優雅な公達の軍装であるが、シテの出には平太物などのように戦いに関した文句は一つもなく、自分の歌のことだけで妄執を訴えている。それがすむとようやく一の谷で討たれた物語をするが、その最後にはまた問題の和歌がまつわっている。かようにいずれが主題やらわからぬように見えるが、前に言ったように修羅物らしくすらりと謡う中に、風流武人忠度の風格がおのずからにして表現されてくれば、それでよいと思う。
