前場最後の「手向け返して」云々の地の間にシテ清経が戦陣の姿で現われる。愛妻への執着と、運命に対する悲嘆とを心にこめて謡わねばならぬ。ここでは能には珍しい恋愛場面を展開するが、謡の構成は、例の後シテの出から掛合、それを受けた後場の初同といった、後シテ出現の定型だということを認識して謡えば、変に芝居に堕する気遣いはない。またそのほうがかえって劇味も深いのである。

[クセ]は、〈敦盛〉の[クセ]と比べると、平家没落の哀史というよりも人間清経の心情のほうが強く打ち出されているが、やはり大きなものの運命と小さな人間の運命との結びつきに、一つの詩が感受されるような謡い方であってほしい。それもむろん淡々たる謡い口の中に自然ににじみ出るようなものであってほしく、あまり感傷的になってはいけない。[キリ]は、〈敦盛〉の[キリ]もそうだが、修羅物の約束として附け加えられただけのような感じがする。
