曲の解釈と謡い方【二、修羅物】(9)

中将の類(5)

―朝長―

この曲は、前後のシテが別人であり、しかも前シテは現在人の女性だという点がすこぶる変っている。〈天鼓〉とか〈船弁慶〉のような四、五番目の曲ならばいざしらず、夢幻曲の本格を行く修羅物において(しか)るのはよほど特異とせねばならぬ。そういう点もあって、この曲は〈実盛〉、〈頼政〉とともに俗に「三修羅」と称し、至難な曲とされている。

前シテは青墓(あおはか)の長者、深井(ふかい)の面に無紅唐織(いろなしからおり)従者(じゅうしゃ)をつれるという女性である。朝長の死をいたむ哀傷の情緒を主としたものであるから、この前場は三番目物のような感があるが、内容が戦いの悲劇ということで()たされているところがやはり修羅物らしい。

この曲は修羅物だから三番目物の謡い口になってはならぬとよく言われるが、この前場のような情趣を表現する最も効果的な手段は三番目物の謡い口であるとすれば、修羅物だからそれを避けるという理由はない。ただその内容からいっても、また後場との関連から見ても、情緒を純三番目物のように持ちこんでしまうのはおもしろくない。そうした心構えさえあれば、おのずから三番目物とは違ったものが演出されると思う。

後シテ朝長ともながの霊は、源氏方ではあるが平家の公達きんだちと同じく中将(ちゅうじょう)の面に単法被(ひとえはっぴ)白大口(しろおおくち)といった優しい軍装で現われる。この後場は、いかにも源氏方らしく平太物に類した強いツヨ吟になっているが、[クセ]などの謡い方には多少心持があったほうがよいと思う。なお、この後シテはワキの特別念入りの読経によって出現するから、冒頭に太鼓がはいる。