曲の解釈と謡い方【一、脇能】(2)

神舞の類

脇能の中でも最もその気分の充実したものは神舞を舞う曲である。神舞は元気いっぱいに颯爽(さっそう)と舞う舞であって、テンポが非常に速く、いわば一気に舞い切るといった趣のものである。この舞の趣がそのまま全体の曲趣といってもよく、ワキの出からキリにいたるまで、いささかの弛緩(しかん)も許さず、清爽(せいそう)の気に満ちて元気いっぱいに謡うというのが神舞物の特色である。

神舞物は脇能の中でも最もめでたい感じがあふれた典型的なものであって、他の類はすべてこれを多少ともに変化せしめたものだといってもよい。だから脇能の謡い口を知るにはまず神舞物から会得(えとく)してかかるがよい。

神舞物にはかの〈高砂〉のほかに〈弓八幡〉、〈養老〉、〈淡路〉、〈志賀〉、〈代主〉、〈難波〉があるが、〈高砂〉は別として他は能でも謡でもあまり演ぜられない。構想が神事一点ばりで変化に(とぼ)しいからである。そこへ行くと〈高砂〉は、脇能の趣を満喫させる上に内容が空疎でないから謡っても非常におもしろい。他の曲はおもしろくないといってもひとしく神舞物であるから、〈高砂〉の真趣(しんしゅ)がわかってくれば、これと同じような趣を体して謡えばやはり脇能らしい爽快さが味わえるのである。特に〈養老〉などはかなりよい曲だと思う。

そこで〈高砂〉〈養老〉、それに少し変わっているから〈難波〉について、個別に曲趣の解説を試みておくから、その他の曲はこれに準じて研究されたい。神舞物にかぎらず以下どの類もすべてこの筆法で述べて行くつもりである。