曲の解釈と謡い方【一、脇能】(5)


―老松―

この曲の主人公は、天神の末社として(まつ)られた老松の精であって、名のある神ではないが、神位の高低などは問題でなく、皺尉(しわじょう)の面に白垂(しろたれ)初冠(ういかむり)袷狩衣あわせかりぎぬ大口おおくちといった老神の姿で〔真ノ序ノ舞〕をまうということが曲位の重きを語っている。

前場の化身はその松を守る老翁であって、同じく末社と祀られた紅梅を象徴する若い男を伴って現われ、紅梅の花やかなのに引きかえて老松の寂しさを語ったり、また梅と松のめでたい因縁(いんねん)を説いたりするが、はだ寒い早春に梅と松を配したところにどこか詩韻を含んでいる。後場は脇能の常法どおり舞一色の場面である。

〔真ノ序ノ舞〕の曲の真趣は、前に言ったように閑雅にして静寂な点にあるのであるから、〈高砂〉のように急調で激しく謡っては台なしであるが、さればといって神能の明るさ雄々(おお)しさを失うのは(もっ)てのほかだから、ワキもシテも地もすべて〈高砂〉の謡い口を土台に置いて、しかも曲趣に添うような静けさを保って謡うべきである。

(こと)に後場は舞直接の場面であるから、シテは荘重(そうちょう)にして静寂の趣を以て謡い出し、以下地との掛合もその趣を失わぬように謡う。特に舞の直前の地謡は、〔真ノ序ノ舞〕の趣を象徴するがごとく静かに重々しく謡わねばならない。〈高砂〉の〔神舞〕の前とは全然対蹠たいしょ的である。舞のあとも同様に、テンポを引きしめ引きしめ謡うのであるが、この後場全体を通じ、脇能特有の瑞気ということを忘れてはならない。