―老松―
この曲の主人公は、天神の末社として祀られた老松の精であって、名のある神ではないが、神位の高低などは問題でなく、皺尉の面に白垂、初冠、袷狩衣に大口といった老神の姿で〔真ノ序ノ舞〕をまうということが曲位の重きを語っている。
前場の化身はその松を守る老翁であって、同じく末社と祀られた紅梅を象徴する若い男を伴って現われ、紅梅の花やかなのに引きかえて老松の寂しさを語ったり、また梅と松のめでたい因縁を説いたりするが、はだ寒い早春に梅と松を配したところにどこか詩韻を含んでいる。後場は脇能の常法どおり舞一色の場面である。
〔真ノ序ノ舞〕の曲の真趣は、前に言ったように閑雅にして静寂な点にあるのであるから、〈高砂〉のように急調で激しく謡っては台なしであるが、さればといって神能の明るさ雄々しさを失うのは以てのほかだから、ワキもシテも地もすべて〈高砂〉の謡い口を土台に置いて、しかも曲趣に添うような静けさを保って謡うべきである。
殊に後場は舞直接の場面であるから、シテは荘重にして静寂の趣を以て謡い出し、以下地との掛合もその趣を失わぬように謡う。特に舞の直前の地謡は、〔真ノ序ノ舞〕の趣を象徴するがごとく静かに重々しく謡わねばならない。〈高砂〉の〔神舞〕の前とは全然対蹠的である。舞のあとも同様に、テンポを引きしめ引きしめ謡うのであるが、この後場全体を通じ、脇能特有の瑞気ということを忘れてはならない。