曲の解釈と謡い方【一、脇能】(6)


―雨月―

この曲は〔真ノ序ノ舞〕ではあるが、前場の情趣があまりにも豊かなところから、本籍を四番目に借りて略脇能としたものと思われるが、主人公に神以外に人間の匂いがすこしもないから、曲趣の類別としては脇能の列に()せしめてよいと思う。

この曲の主人公も住吉明神であるが、それは和歌の神として描かれる。前場では姥とともに住む尉に化身し、ワキに西行(さいぎょう)法師を配して、夫婦の間の月と雨との風流な争いから、歌人と和歌の神様との即興的な吟詠(ぎんえい)となり、そのあと軒端(のきば)を訪ずれる秋の風を村雨(むらさめ)と聞いたりする詩趣あふるる場面がつづく。

こういう情趣の曲は、舞えば〔真ノ序ノ舞〕のほかないが、必ずしも舞があることを要しない。曲趣の眼目は前場にあるのであって、後場はもっとあっさりしていてもすむのである。現に舞の代りに〔立廻(たちまわり)〕にすることもある。だからこの曲を謡うのには、少なくとも前場は、〔真ノ序ノ舞〕ということにこだわらずにもっぱら情趣と詩韻を表現すればよいと思う。
なおこの後場は神自身ではなく、神が宮人に乗り移って出るのが異色である。