曲の解釈と謡い方【一、脇能】(7)

悪尉(あくじょう)その他楽の類

―〈鶴亀〉―
(白鬚、大社、寝覚、東方朔、道明寺、輪蔵)

(がく)〕は本来後述の遊楽ゆうがく物でまわれる舞であるが、これを脇能に持ってきて、悪尉の面に鳥兜(とりかぶと)、袷狩衣に半切(はんぎり)という仰々(ぎょうぎょう)しい姿でまう神の一群がある。〔楽〕のほかに、たいていはツレ天女の〔天女舞〕とツレ竜神の〔舞働(まいばたらき)〕とが景物として加わるから、まことに賑々しい後場になる。

この類は、多少神の品格は落ちるが、どっしりと厳めしいといった感じが非常に強い。〔神舞〕の類は雄健清爽、〔真ノ序ノ舞〕の類は高雅静寂とすれば、〔楽〕の類は剛健荘重(ごうけんそうちょう)といった感じである。シテの神自らは〔楽〕をまうほかはあまり動かず、威風堂々たる態度で他の神の舞う賑やかな舞台面を静かに見守っている。だから謡としても、シテはどっしりと重々しく、天女は爽やかにすらりと、竜神はキビキビと(はこ)んで謡い、地謡もそれぞれの人物に応じて緩急を要する。これは後場の話であって、前場は構成が他の脇能とだいたい同じようであるから、一般の脇能に準じてよいわけである。

この類は後場が非常に賑やかだというだけで、内容はすこぶる空疎なものが多いから、能にはたまに出ても素謡では極めて縁遠い。観世では〈白鬚〉〈大社〉〈寝覚〉〈東方朔〉〈道明寺〉〈輸蔵〉、それに脇能には唯一の現在曲たる〈鶴亀〉があるが、宝生では〈鶴亀〉を除き他は全部カットされている。ここでは〈鶴亀〉だけについて述べることとするが、〈道明寺〉と〈輪蔵〉とはワキが僧ワキという脇能としては異格な曲で、それだけに内容もいくらか脇能らしくない。特に〈道明寺〉にはどこか趣に富んだ風味があることを一言しておく。