第45回 観世寿夫記念法政大学能楽賞に、岡久広師と亀井広忠師、第33回催花賞に佐々木洋次氏

12月7日、法政大学は第45回観世寿夫記念法政大学能楽賞の受賞者を発表し、シテ方観世流の岡久広師と大鼓方葛野流15世家元の亀井広忠師が受賞した。

また、第33回催花賞は能装束製作を手掛ける佐々木能衣装の佐々木洋次氏が受賞した。

受賞理由は以下の通り。

岡久広(おか ひさひろ)師

〔受賞理由〕流儀の中核として活躍する氏は、地頭として多くの舞台の成功になくてはならない存在である。氏が地頭を勤める地謡はよく統率がとれ、作品世界の創出に大きく寄与しているが、その確かな技術と品格はシテを勤める際にも発揮され、特に2023年10月の〈姨捨〉では優れた舞台成果で観客を魅了した。

〔主な経歴〕観世流シテ方。1949年11月19日、岡久雄の長男として東京に生まれる。本名岡久廣。二十五世観世左近に師事。53年、〈鞍馬天狗〉の花見稚児で初舞台。59年、岡諷会二十周年記念能での〈花月〉で初シテ。64年、岡稽古会での〈俊成忠度〉で初面。72年、成城大学文芸学部を卒業後、観世宗家に入門。78年、独立。翌79年の独立披露能で〈石橋〉を披く。

以来、80年に〈乱〉(観世会定期能)、81年に〈道成寺〉(岡久雄七回忌追善能)、87年に〈望月〉(岡久雄十三回忌追善能)、91年に〈翁〉(岡久雄十七回忌他追善能)を、研究会別会では94年に〈安宅〉、99年に〈砧〉、2002年に〈求塚〉、10年に〈恋重荷〉を、観世会の春秋別会では03年に〈卒都婆小町〉、13年に〈木曽〉、19年に〈鸚鵡小町〉、23年に〈姨捨〉を披演。数多くの能でシテを勤めるかたわら、地頭としての統率力と安定感にも定評があり、観世会の重鎮として大いに活躍している。東日本大震災復興支援を目的とする「息吹の会」に同人として参加。第一回東京公演の収益金をもとに、被災地各地で無料公演を行った。海外公演にも多数参加し、これまでアメリカ・イギリス・フランス・アルジェリア・ロシア・シンガポール・中国・台湾・オーストラリアを訪れている。

1984年、一般社団法人観世会理事(後、監事)。91年より日本能楽会会員。東京芸術大学非常勤講師等を歴任。現在、一般財団法人観世文庫評議委員。

亀井広忠(かめい ひろただ)師

〔受賞理由〕ずば抜けた技術と強い意志に支えられた氏の演奏は、常に曲柄に添った的確な位を創り出し、演者の信頼を得るとともに、囃子全体を率いてその質を向上させている。近年は〈朝長〉〈摂待〉〈姨捨〉等、大曲・秘曲の上演においても、欠かすことのできない存在として充実した舞台成果を挙げている。

〔主な経歴〕葛野流大鼓方。2016年に家元を継承。人間国宝・亀井忠雄を父に、歌舞伎囃子方田中流前家元九代目・田中佐太郎を母に持つ亀井家の長男として、1974年、東京に生まれる。3歳より大鼓を父に、謡と仕舞を八世観世銕之亟に師事。幼少時には子方も多く勤め、母に歌舞伎囃子も師事した。6歳〈羽衣〉で初舞台。7歳で初能〈合浦〉。以降20歳までに〈石橋〉〈乱〉〈翁〉〈道成寺〉〈鷺〉等を次々に披いた。97年、弟・十三世田中傳左衛門、田中傳次郎と共に、能と歌舞伎の囃子の会「三響會」を結成。囃子を通じて、能と歌舞伎それぞれの伝統を踏まえつつ、新しい可能性を追求している。また、2002年には自己研鑽の場として「広忠の会」(不定期)を発足。〈檜垣〉〈鸚鵡小町〉は同会で披いた。老女物は〈関寺小町〉を残すのみ。伝統の枠組みに囚われない活動も多い。

06年には、能楽の総合芸術としての可能性を探求するべく、野村萬斎、一噌幸弘とともに「能楽現在形」も始めた。〈空海〉〈夢の浮橋〉〈蛇〉等、新作能の作調や、最近では、「能狂言・鬼滅の刃」「VR能・攻殻機動隊」等の新しい試みにも多く関わっている。海外公演への参加も多数。

04年、ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞。07年、日本伝統文化奨励賞。15年、重要無形文化財(総合)認定。23年、伝統文化ポーラ賞受賞。国立能楽堂養成研修所主任講師、国立劇場歌舞伎音楽研修講師、学習院大学非常勤講師。

佐々木洋次(ささき ようじ)氏

〔受賞理由〕氏は能装束製作の専門店佐々木能衣装の四代目として、先人より受け継いだ技術の伝承・保存に力を注ぐとともに、自らも織機に向かい、能装束製作の第一人者として多年活躍されている。能楽への深い見識に基づく氏の仕事ぶりは、能楽師からも高い評価と信頼を得ており、氏が能楽界に果たした役割はすこぶる大きい。

〔主な経歴〕株式会社佐々木能衣装代表取締役。1956年、能装束製作を専門とする西陣の織屋佐々木家の長男として京都に生まれる。75年、同社に入社し、本格的に能装束製作の技術を学び始める。株式会社佐々木能衣装は、江戸時代から続く老舗の唐織屋喜多川家(俵屋)で修業した曾祖父里見重太郎が、1897年、京都北猪熊に暖簾分けしたのが始まり。当時は冨士屋の屋号を名乗っていたが、祖父光之助の代に佐々木に改姓し、父洋一の代の1964年、株式会社佐々木能衣装となる。洋次は創業以来四代目にあたり、95年、同社の代表取締役に就任。長年にわたって能装束製作に従事するとともに、古い装束の調査・修復・復原にも取り組む。

これまで製作してきた能装束は膨大な数に達するが、代表的なものに、2003年の復曲能〈箱崎〉(シテ観世清和)に用いられた装束一式(半切・舞衣・裲襠など)、金春家伝来「金紅鶸段敷瓦花熨斗文様唐織」(東京国立博物館蔵)の復原装束などがある。能装束以外の芸能・祭礼衣装も積極的に手掛け、08年には坂東玉三郎主演「信濃路紅葉鬼揃」の装束、23年には祇園祭「鷹山」御神体の衣装を製作した。

能装束の製作技術の継承者が年々少なくなる中、20年には、文化財保存に必須な伝統技術の継承のために文化庁が新たに設定した「能装束製作における技術保持者」の第一号に認定。また、本年(23年)に追加認定された「能装束製作技術保存会」の代表も務め、後進の指導・育成に大いに尽力している。22年に刊行された著書『能装束精解ー製作の現場から』(檜書店)は、能装束製作の技術と精神を一般にも分かりやすく伝える好著として高く評価されている。

佐々木洋次氏の著書『能装束精解ー製作の現場から』はこちら(檜書店ほかAmazonなど各書店にて販売中)

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