能のお稽古に必須の「謡本」は誰がどのように作っているのか?

現在、私たちの身の回りにある本は、ほとんどが西洋の製本技術で作られている。和()じの技法の本は、写真などで目にすることはあっても、それを実用品として自分で使ったことがない人も多いようだ。

観世流特製一番本(大成版)
観世流特製一番本(大成版)

一方、能楽界ではご存じのように、謡本という和綴じ本が現役を張っている。お稽古をされている方なら、一曲がおさめられた謡本がお手元にあることだろう。

見慣れているものかと思うが、ぜひこの場にご用意して、それをモノとしてじっくり眺めてみていただきたい。表紙や本文用紙の色や手触り、綴じてある糸の色や風合い、本を開いたときのやわらかさ。

謡本は流儀や家によって本が異なるが、なかなか他の本を見る機会は少ない。ためしに三種類くらいをざっと見比べてみると、ぱっと目につく表紙の色や柄だけでなく、縦横の大きさ、糸の色やりのあるなし、本文用紙の色や質、書かれた文字の字体などが意外と異なっていることに気づく。それぞれの芸風を反映しているようにも思えて、大変興味深い。この謡本は、だれがどのように作っているのか。謡本を作る職人をたずね、話をうかがった。

水谷和本堂

観世千鳥でおなじみの観世宗家の謡本(大成版)は、みずたにほんどうが製作している。主人の水谷やすのりさんは、昭和二十六年生まれ。江戸初期から謡本製作を行ってきた職人の系譜で、四代目にあたるという。妻のきょうこさんとともに技術を守ってきたが、数年前、病気で体調を崩してしまい、現在は四女のあおいさんと恭子さんがメインで仕事をしている。

水谷恭子さん(左)と葵さん(右)

作業場は東京都足立区の亀有にある水谷さんのご自宅の一階だ。観世千鳥が印刷された表紙用の大きな紙や製作途中のさまざまな曲の謡本がずらっと積み上がっており、まさに能の世界。裕則さんもお元気そうな笑顔を見せてはくださったがまだ本調子ではないということで、恭子さんから仕事の様子をうかがうことになった。

「私がこの家に嫁いだのは、昭和五十一年。その頃は、職人も多く男性が三人、女性が五人くらいはいたと思います。それでも手が回らなくて、糸で綴じる作業は内職さんに出していました。それが十人くらいはいたでしょうかね」

謡本の販売数、つまり水谷さんたちが謡本を作る数は、能をお稽古する人口と連動している。当時は、お稽古人口が大変多かったことがお話からうかがえる。しかし、その後は減少。二年前ごろからは、恭子さんと葵さんの二人体制で作業をするようになった。