江戸時代から人々の足もとを支える手作りの足袋

2021年の大野屋總本店

久しぶりに新富町の大野屋總本店さんを訪問した。
小さな交差点の角にある古い瓦屋根の建物は、以前と変わらず、どっかり建っていた。


でも、近づいてみると、あれ? 前とちょっとどこか違う。入り口だったところに、たばこ屋さんのような出店コーナーができているのだ。

そこで売られていたのは、カラフルな布マスク。古典的な和柄がズラリと並ぶが、アイスキャンデーやパンダ、ネコなどの楽しげな柄も。透明シートの向こうには、福島茂雄さんが座っていて、こっち、こっち!と手招きをして迎えてくださる。着物上級者向けのちょっと敷居の高いお店が、がらっと一変、通りすがりに気軽に買い物できる店へと大変身。びっくりした。

さっそく中に入って、話をうかがう。まずは、新型コロナ感染拡大の影響について。

「コロナ禍になって、やはり足袋の注文はガクッと減りましたよ。何の前触れもなく、いきなり仕事が減って、やはり戸惑いました。でも、立ち止まってばかりもいられません。いろいろ考えて、布マスクを作りはじめたんです。それが結構、好評で、お客さんから『こんな柄で作ってほしい』など、いろんな要望が寄せられました。それに応えていたら、どんどん種類が増えていって(笑)。店に入らなくても、手軽に買えるように建物も改装したんですよ」

コロナ禍で、悪い影響が出ていると予想できたので、不安を抱えながらの訪問だったが、茂雄さんが明るく話してくれるので、ほっとした。ご近所の人でこれまで店に入ったことがないような人も、マスクを買いに来てくれるようになり、子どもには怪獣の柄が大人気だとか。
コロナ禍の初期。だれもが不安で足踏みしているときに、さっと改装して先手を打っているのは、さすがである。
コロナ禍の影響について、詳しくうかがってみる。

経営的に大きな打撃を受けたのは、仕事の半分を占める歌舞伎の足袋の減少。大野屋總本店は、その丁寧な仕事が歌舞伎界からも評価されて、歌舞伎座をはじめ、全国の劇場で上演される歌舞伎の足袋の多くを請け負っている。コロナの感染拡大がはじまるまでは、東京の歌舞伎座をはじめ、毎月どこかの劇場で公演が行われていたが、2020年4月からぴたりと止まってしまった。歌舞伎の足袋は、公演に紐付いた受注生産。公演がなければ、当然、足袋の注文も入ってこない。

能楽の足袋の注文については、2020年4月以降、公演の延期や中止が相次ぐと、それと連動して急激に減少。能楽の場合も、舞台の出演があるからそれに向けて足袋を新調する、という流れが多く、公演と足袋の注文がダイレクトに結び付いていることを改めて実感した。ちなみに取材した2021年秋では、能楽も含めて全体の注文数は、コロナ前の6-7割くらいとのことだった。

「ステイホーム」が叫ばれ、皆が自宅に引きこもっていた時期。福島さんは、ユニークな「テレワーク」を実施していた。ミシンを職人さんの自宅に持って帰ってもらい、マスクの製作を行ってもらっていたのだ。今は、店の二階の仕事場に職人さんが出勤して、仕事をしているというので、あがらせてもらった。

以前は茂雄さんのお母さんが担当していた高難度の「(つま)()け」のミシン掛けは、若い女性がやっていた。取材の日にはいらっしゃらなかったが、20代前半の若い女性も入社して、技術をひとつずつ習得しているそうだ。

「若い人は、インターネットの記事でうちの情報をみつけて、やりたいと言って来てくれます。メディアにとりあげてもらうということも、大事だなと改めて感じます」

芸能道具の職人の世界は、後継者の募集・育成にみんな頭を悩ませており、大野屋總本店のようにうまくいっている事例は珍しい。後継者育成のヒケツを情報共有するなど、ジャンルを超えて横に繋いでいく取り組みがあってもよいかもしれない。

「伝統芸能の道具ラボ」主宰 田村たむら 民子たみこ

1969年、広島市生まれ。能楽や歌舞伎、文楽などの伝統芸能の裏方、職方を主な領域に調査や執筆を行う。作れなくなっている道具の復元や調査を行う「伝統芸能の道具ラボ」を主宰。観世流のお稽古歴、7年。

東京新聞、朝日・論座、朝日小学生新聞などに執筆。