能の舞台には、いつも植物の気配が漂っている。
本舞台の重厚な檜の床、四方の太い柱、その上にずしりとのった屋根は、かつては山に深く根を張っていた樹木だ。正面の鏡板には老松が描かれ、橋掛りの脇には一ノ松、二ノ松、三ノ松が並んでいる。私たち観客が物語に吸い込まれていくにつれ、深山や大草原、草花が咲き乱れる里山にするりと脳内ジャンプできるのは、能舞台が木で作られた空間であることも大きい。
曲によっては菊や榊、薄を飾った作り物が出されたり、演者が桜や笹を手に持ったりすることもある。これらは物語を象徴する重要なモチーフであり、曲を支える大事な役割も果たしている。
能の道具の中で植物に関連したものは、どのようなものがあるのか。また、それらをどう準備しているのか。シテ方金春流の本田布由樹さんに、本田家で所蔵する道具を見せてもらいながら話を聞いた。
道具がぎっしり詰まった、能のための家
本田家の能楽師としての歴史は明治時代に遡り、布由樹さんの祖父にあたる本田秀男(1899-1966)からはじまる。現在は、東京をはじめとする各地の金春会や金春円満井会に出演するほか、父の光洋さん、兄の芳樹さんと秀麗会を主宰。薪能や能楽の講座なども行っている。
裏方のいない能の世界では、演能に必要な面装束や道具類は演者である能楽師が準備をする。道具を所有するには費用もかかり、それらを保管する空間も必要となるが、本田家では道具を持つことを重視しコツコツとそろえてきた。今では、他からほとんど借りることなく演能ができる状況にある。
本田家の道具は、東京都中野区の光洋さんの家で保管されている。静かな住宅街にある二階建ての家屋で、庭には屋根を越えるほどの大きなしだれ桜の木があった。案内されたのは板張りの稽古場で、青々とした松が描かれた鏡板が目に飛び込んでくる。すでにたくさんの造花が運び込まれていた。
「作り物の山に飾る葉は、遠くからご覧になると少なく見えるかもしれませんが、意外と量があるんです。榊や紅葉、柳などいろいろな種類がありますし、つぶさないように保管するため箱に入れています。造花以外の道具も大量にありますので、階段の上などわずかな空間にも棚を作ったりして苦労しながら収納しています。それでもすべての道具を家に置くには限界がありますし、このあたりは住宅街で火事の心配もあります。万が一ということがあっても全てを失わないように、半分は貸し倉庫に預けています」