生か? 造花か?
能の舞台で目にする植物というと、「山」に飾られる青々とした榊、〈石橋〉の一畳台に飾られる牡丹、〈半蔀〉の半蔀屋にからみつく夕顔の花とひょうたん、〈井筒〉の薄、演者が手に持つものとしては狂女のしるしとなる持ち枝の笹などが思い浮かぶ。他に、松、柳、桜、梅、菊、藤、紅葉、蔦などが登場する。
舞台に出す植物は、流派を問わず造花を用いることが多い。生きた植物には開花の時期があり、どうがんばっても秋に桜の花は入手できないという現実的な問題もある。造花を使うことについて、本田家ではどのように考えているのだろうか。
「祖父・秀男の兄弟弟子にあたる野村保(1898-1976)さんが生きておられた頃、父・光洋が『植物はナマにこだわるのではなく、造花を使うのが本来だよ』と教わったそうです。その理由は、いくつかあると思いますが、ひとつは装束との兼ね合いがあります。能の装束は、舞台映えするように柄も大きく、色もはっきりしています。本物の花を使うとリアリティもあり美しいのですが、デフォルメされた能の意匠の世界に取り入れると、弱くなってしまいます。秋に〈井筒〉をやるときなど、せっかくだから薄を使おうということもありますが、基本的には能の舞台には造花がふさわしいと考えています」
造花をよしとする。そのよい例として、〈角田川(隅田川)〉などに使われる柳と〈半蔀〉の夕顔、ひょうたんの造花を見せてくれた。枝が銀色の柳、そして金銀のひょうたん。本物にはない、渋い華やかさがあった。
また、ナマの植物にまつわるこんな楽しい思い出話も聞かせていただいた。熊本で薪能をしたときのこと。
「地元の人が協力的で、作り物の山に飾る葉を会場近くの山から切り出してきてくださったんです。申し合わせのときは、青々としてきれいで、これはいいなと思ったのですが、一晩経つと茶色になって枯れてしまっていました。それで、あわててまた山から取ってきてもらうということがありました。演能当日、ばたばたはしましたが、地域のみなさんと一緒に舞台を作りあげたという感動がありました。忘れられない思い出です」