―高砂―
この曲は、前述のようにひとり脇能のみでなく、能全体の代表曲といってもよいくらいのものであるから、この曲で曲趣と謡い方を確かりと会得しておけばたいていの脇能は謡いこなせるわけである。
この曲は普通の脇能と違って、前シテの尉が松の精ということになっているが、実際的解釈としてはやはり後シテ住吉明神の化身と考えてよい。現に喜多では「高砂住の江の神ここに相生の夫婦と現じ」とある。また前ツレが男でなく姥となっているのもすこぶる異例であるが、この昔から国民の間に親しまれた尉と姥が出るからこそ、舞台一ぱいに瑞気もただよえば、曲趣の上にも他の脇能に見られない柔らか味を添えるのである。
その他前場の文章も堅苦しい神社の来歴といったものでなく、万木に秀れた松のめでたさを讃美するというのが主題だから、謡っていても甚だ感じがよい。後場は型のごとく神が現われて舞をまうだけであるが、これまたつまらない御託宣を列べたりせず、優雅な文章を簡潔に連ねたところがすこぶるよい。