曲の解釈と謡い方【一、脇能】(3)

シテの出の謡は、ワキの出のように急調ではなく、静かで荘重なものでなければならない。本曲でいうと、ここで高砂の浦の長閑(のどか)な春の夕べの景趣(けいしゅ)を展開させ、そこに住む尉と姥の楽しい心境を表現するのであるから、(しず)かに謡ってそうした詩趣も()かせ、瑞気も感ぜしめなければならない。ただし変に勿体(もったい)ぶったり謡が堕れたりするのは絶対に禁物(きんもつ)である。

シテ、ワキの問答では、ワキはまた脇能特有の謡い口で、テキパキといってもよいくらい弛緩を(いまし)めて謡うべく、シテもまた決して重っくれてはいけない。そうした爽やかな気分の問答を受けて、初同(しょどう)四海波(しかいなみ)静かにて」を(きわ)めて急調に勢いよく謡うのである。小謡(こうたい)としても祝言随一として有名である。

〔クリ〕、〔サシ〕、〔クセ〕もなんら渋滞なく、むしろ急調に謡うのであるが、シテはやはりシテらしい位を持し、地もこけぬように(しっ)かりと謡わねばならぬ。〔ロンギ〕も同様である。

ワキの〔待謡(まちうたい)〕は普通と違って、シテのあとを追って舟をやる道行(みちゆき)であるから、その心持で朗らかに謡う。特に結婚の席では慶祝の意をこめて謡うべきである。ワキの謡だから祝言に謡ってはいけないとよく言われるが、そんなことは意に介する要がないと思う。

後シテは邯鄲男(かんたんおとこ)の面に黒垂(くろたれ)透冠(すいかむり)袷狩衣(あわせかりぎぬ)白大口(しろおおくち)という若やいだ神であるから、サシ調で調子を上にとって爽やかに(よど)みなく謡い出し、地の「西の海」から一セイ型に変って、以下シテと地の掛合を急調にかかり合って〔神舞〕に入る。〔神舞〕は非常にテンポの速い元気いっぱいの舞だから前の謡にもその心持が必要である。〔キリ〕の〔ロンギ〕も神舞の余波として舞っているのだから、すこしも(いきおい)を抜かずによく運び、いかにも祝言の心で千秋万歳(せんしゅうばんぜい)と謡い納める。