シテの出の謡は、ワキの出のように急調ではなく、静かで荘重なものでなければならない。本曲でいうと、ここで高砂の浦の長閑な春の夕べの景趣を展開させ、そこに住む尉と姥の楽しい心境を表現するのであるから、閑かに謡ってそうした詩趣も利かせ、瑞気も感ぜしめなければならない。ただし変に勿体ぶったり謡が堕れたりするのは絶対に禁物である。
シテ、ワキの問答では、ワキはまた脇能特有の謡い口で、テキパキといってもよいくらい弛緩を戒めて謡うべく、シテもまた決して重っくれてはいけない。そうした爽やかな気分の問答を受けて、初同「四海波静かにて」を極めて急調に勢いよく謡うのである。小謡としても祝言随一として有名である。
〔クリ〕、〔サシ〕、〔クセ〕もなんら渋滞なく、むしろ急調に謡うのであるが、シテはやはりシテらしい位を持し、地もこけぬように確かりと謡わねばならぬ。〔ロンギ〕も同様である。
ワキの〔待謡〕は普通と違って、シテのあとを追って舟をやる道行であるから、その心持で朗らかに謡う。特に結婚の席では慶祝の意をこめて謡うべきである。ワキの謡だから祝言に謡ってはいけないとよく言われるが、そんなことは意に介する要がないと思う。
後シテは邯鄲男の面に黒垂―透冠、袷狩衣―白大口という若やいだ神であるから、サシ調で調子を上にとって爽やかに淀みなく謡い出し、地の「西の海」から一セイ型に変って、以下シテと地の掛合を急調にかかり合って〔神舞〕に入る。〔神舞〕は非常にテンポの速い元気いっぱいの舞だから前の謡にもその心持が必要である。〔キリ〕の〔ロンギ〕も神舞の余波として舞っているのだから、すこしも勢を抜かずによく運び、いかにも祝言の心で千秋万歳と謡い納める。