武田友志師・文志師兄弟にインタビュー〜財団設立10周年と花影会〜

観世流シテ方の武田志房(ゆきふさ)師の長男、友志(ともゆき)師と次男の文志(ふみゆき)師に、武田家のこと、今年設立から10周年を迎える公益財団法人武田太加志記念能楽振興財団、財団が主催されている「花影会」について、話をうかがった。

右から、武田友志師(長男)・武田文志師(次男)
武田修能館 能舞台にて

武田友志(たけだ ともゆき)
シテ方観世流。1974年生まれ。武田志房の長男として生まれる。父および26世観世清和に師事。1978年「鞍馬天狗」花見にて初舞台。重要無形文化財総合認定保持者。一般社団法人観世会理事。公益財団法人武田太加志記念能楽振興財団理事長。

武田文志(たけだ ふみゆき)
シテ方観世流。1977年武田志房の次男として生まれる。父及び26世観世清和に師事。1980年「鞍馬天狗」花見にて初舞台。重要無形文化財総合認定保持者。公益財団法人武田太加志記念能楽振興財団専務理事。

——まず、武田家のことについてお聞かせください。

友志 では、財団の話は理事長の私から話しますので、武田家のことは弟の文志が話します。

文志 福井県の小浜藩お抱えの能役者の家が武田家で、曾祖父の清水宗治郎(そうじろう)が武田小太郎の養子となりました。そして東京に出て23世観世清廉(きよかど)宗家のもとで修行して無事独立したのですが、東京で能楽師として続けたいということで、福井に戻るのをお断りしたんです。福井の武田の家が、東京で能をやるときは武田の姓を名乗るようにと言っていただいて、それ以来、本名は清水ですが、能楽師としては武田を名乗っています。

24世観世左近元滋宗家の弟子が祖父の太加志(たかし)、25世観世左近元正宗家の弟子が父の志房、現宗家の26世観世清和宗家の弟子が兄と私ということで、武田家は東京で4代にわたって御宗家に仕えております。宗治郎は謡だけでしたが、太加志からは型も教わって能を舞うようになりました。

福井の武田の家は宗治郎が東京に行ってしまったので跡継ぎを取らなければいけません。小兵衛さんが養子に入られて、修行は宗治郎のもとに来ました。小兵衛さんの長男の順一さん(※のちに吉井司郎の芸養子となる)も太加志のもとで修行しました。小兵衛さんの次男の欣司さん、三男の邦弘さんは、本家も福井ですし関西のほうが良かろうということで、京都の片山家に弟子入りをされました(※現在、邦弘師、順一師の長男の基晴師が活躍されている)。

 武田家家系図(第42回花影会パンフレットより編集)

友志 祖父が昭和60年(1985年)に亡くなるまでは、三世代で住んでいましたが、それも私が小学5年生、弟が2年生まででしたので、祖父からお稽古を受けたことはほとんどありませんでした。子どもの頃は当時書生だった門下の松木千俊さんに大半の稽古をしてもらいました。

——お父様の志房先生は、流儀の重鎮と言える存在です。最近では地頭や独吟で活躍されていますね。

文志 父は一昨年(2024年)に最後の能ということで「隅田川」を舞って、立方(たちかた)は遠慮しています。肺気腫で、歩くときには基本的に酸素投与が必要な状態ですが、お医者様によれば、運動しないと筋肉が落ちてしまって肺の働きがますます弱くなってしまうそうです。正座して謡を謡っている分には、酸素の数値も問題ないので、今は謡に専念しています。同じ病気の方の中では全人類で一番元気なんじゃないかって思うくらいですね(笑)。

友志 最初は酸素投与をしても、少し歩いただけでゼイゼイしていたのですが、リハビリなどの努力もあって、今舞台に出られています。ここまで来るのに家族で話し合ったり、時には父にいろいろ進言したこともありました。他家では師匠と弟子の関係性が強い親子もありますが、わが家は稽古とプライベートを完全に分けていました。父はもちろん師匠ですが、私たちも弟子から息子に戻れる瞬間があるので、親子の会話ができるんですよ。父は2月で84歳になりましたが、我々や孫など若手の稽古で、日々張りのある生活をしています。

——お孫さんとは、友志先生のお子さんの章志(あきゆき)さんですね。

友志 はい。現在藝大の三年生で、観世三郎太先生のお弟子にしていただけるように勉強させているところです。一般的には祖父が子方卒業後の孫を稽古できるまで元気でいるケースは少ないかもしれませんが、父は今も章志の稽古をつけてくれています。私たちの子どもの頃は従兄弟なども多くて、いろいろな人からアドバイスをもらうこともできましたが、今は子どもが少なくてかわいそうですね。その分みんなにかわいがられていますけど。本人が高校生の頃、この道を続けることに関して、「がっつりやる」「休む」「御依頼を頂戴した時だけやる」のどれかと聞いたら、予想通り三番目でした。ゆとりを持って続けていて、高校三年の時に「能楽師になりたいと思う」と言ってきました。これからいろいろな修行をすることになりますが、「人生は自己責任だから」と言っております。

文志 以前、兄に「自分に跡継ぎがいたら、もっと仕込むのに」と言ったことがあるのですが、兄は「自分が能楽師になることを強要されて嫌だったから、それはしたくない。大人になってこの道で生きるかどうかを決める頃に、たとえ親父が素敵じゃなくても、お前や宗典とか周りの人たちを『かっこいいな』と思ったら、きっとこの道をやりたいと思うはずだから、できればそういう風になってくれればいい」ということを言っていたんです。私はなんだか無責任に感じたのですが、それが良かったのかもしれませんね。

——今年、設立10周年になる武田太加志記念能楽振興財団についてうかがいます。

友志 祖父の太加志が戦後、親戚や門下の者にも能を舞わせたい、ということで能面・能装束の収集を始め、父の代でも引き続き集めて、現行の約200曲の演目ができるほどのものを遺しました。また、玄人の能楽師がしっかりと稽古できる檜の舞台があったほうがよい、ということでこの武田修能館が建てられました。

中野坂上駅より徒歩5分の武田修能館入口

私は子供の頃から、祖父や父に、将来この舞台や家は売ってもいいが、面・装束だけは絶対に売ってはいけないと言われておりました。個人蔵の面・装束は、能楽師の後継者がいないと散逸してしまいます。子供がいても能楽師をやらなければ、それは財産ではありますが、祖父や父は、子孫が贅沢をするために面・装束を遺したわけではありません。親族が継承すれば一番いいですが、たとえ、親族ではなくても弟子や縁のある能楽師が良い能ができるように、というのが私たちの一番の願いです。それで、父や弟、親族で話し合いまして、平成28年(2016年)に父とともに公益認定をいただく前提で財団を設立し、面・装束、この舞台や土地も財団に寄付しました。

文志 この舞台は三間四方あって、見所からは見えませんが、一般的な能楽堂の距離にあたる橋掛りもあります。楽屋もあり玄人が稽古しやすい舞台ですし、使用する金額も非常に安くしておりますので、現在は他の流儀の方や、三役の方も積極的に使って下さっています。また、落語の会や踊りの会にもお貸ししています。

三間四方、地謡座、アト座もある舞台

友志 財団主催の能の会として「花影会」があります。この会は祖父の太加志が能を舞う会として立ち上げて数回開催しましたが、しばらく途切れておりました。私と弟が20代になった時に自分たちの勉強の場となるよう、父と私たちが舞う場として、平成11年(1999年)に再開させました。一昨年までは、同じシテと囃子方で翁付きの能をし、若い三役の方にもなるべくお願いをするという形で、年2回開催して参りましたが、去年から年1回にして、我々兄弟で一番ずつ能を舞っています。

財団の定款には、「能楽および日本文化の普及啓蒙を目的とした事業」という項目もありますから、茶道など、違うジャンルの方との公演もいたしました。また、この地域の小学生をお招きして子どもたちに能をお見せしています。ここには、小学生だと100人以上入りますし、椅子を置いても5、60人入ります。また、高齢者施設やろう学校をまわることなどもしています。

文志 そのほか、例年夏の虫干しを3日間くらい公開しておりますが、先日は初めて能面虫干しの公開を行いました。大変好評だったので、また開催したいと思っております。修能館の入口にも案内を出し、近所の郵便局にチラシを置かせてもらったりしましたが、7割以上の方がいつものお客様ではなく、チラシなどを見て来て下さった一般の方だったのに驚きました。

——設立から10年が経って地域の方々にも認知されてきたということですね。5月の花影会は、友志先生が「天鼓」、文志先生が「仲光」(※観世流以外では「満仲」)を演じられますね。

文志 昨年は兄が「屋島」弓流、私が「大原御幸」で、テーマを源平に設定しました。今回は「親子の絆」というサブタイトルをつけています。「仲光」は個人的に大好きな曲で、実は5、6年前に父から、花影会でどうかと勧められたのですが、その時は自分自身まだ若いかな、というのと、子方の問題もあって見送ったんです。今回、子方の美女丸と幸寿の役は武田祥照の息子の智継(さとつぐ)と應秀(まさひで)です。あまり大きくなってしまうと悲哀みたいなものが出にくいですからね。ツレの満仲は、同年代の人にやってもらうとしたら兄か従兄弟の宗典だと思って、兄に話しましたら、「お前がそう思ってくれるのなら、ぜひ満仲をさせてほしい」と言ってくれました。

父が「仲光」を初演したのは平成8年(1996年)で、その時に勉強して非常に感動しました。その後も大分の会で父と叔父の宗和がやり、私がどうしても父とやっておきたいと思って、父が仲光で私が満仲ではダメかと尋ねたら、いいんじゃないかと言ってくれまして、平成23年(2011年)の花影会でやったのが今回のチラシの写真です。

第58回「花影会」チラシ(表)

「仲光」という曲は、主君の子の身代わりにわが子を殺すという現代では受け入れにくい内容で、他のお芝居だと悲惨すぎますが、能だからこそ戯曲として成り立つのだろうと思います。父に謡ってもらえて、御家元に稽古をしていただけるうちに、とも思いました。そして満仲の役は重いツレで、兄は二番能に近いような形になりますから、もう一番は、いろいろ選曲を考えて、父とももちろん相談し、後が非常に華やかに終わる「天鼓」になりました。

友志 もともと財団や花影会は母の努力があって、お客様はすぐに集まって下さったのですが、財団の主催になったら、私たちの周知が行き届かず、集客が少なくなってしまいました。コロナ前に、ついに満席になった、と思ったのにまた一からやり直している状況です。でも、花影会独自の音声ガイドも非常に好評で、それがなかったら昨年の「大原御幸」という選曲はなかったと思います。先ほど申しましたように、今回の「仲光」は子方も重要ですから、今の子方たちの年齢の間にできるものを、ということも「仲光」選曲の大きな理由です。

文志 観世会ではかなりの部分で、我々世代まで重いお役をつけていただくようになってきました。私たちが世代交代と言ってはいけないのかもしれませんが、花影会でも思い切って若い人たちにお願いしています。父や叔父たちが健在なうちに経験をさせていただくのが大事だ、という思いもあります。

【武田友志師・文志師 お二人からの花影会へのコメント】

武田修能館ホームページはこちら

令和8年5月31日(日)「花影会」詳細はこちら