能楽専門の袴を作り続ける老舗のものづくり【後編】

玄人の仕舞袴

能の公演では、地謡や後見、囃子方が黒紋付の下に、鼠色や紺、茶系などさまざまな色の袴をはいていることに気付く。遠目でみると単色に見えるかもしれないが細かな縦縞模様であることが多く、もちやの売店で反物をみせてもらうとさまざまな種類の縞があった。

玄人はどのように仕舞袴の生地を選んでいるのか。もちや代表の佐藤真由美さんが稽古に通った宝生流・今井泰男さんの孫にあたる今井もといさんに話を聞いた。

今井基(シテ方宝生流能楽師)
1988年、東京で生まれる。今井泰行(シテ方宝生流)の長男。1996年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見(1997年)。初シテ「経政」(2012年)。

撮影させていただいたのは、思い出が深く、大切にしているという仕舞袴。

「これは私が高校生のころに新調した袴で、生地は祖父が選んでくれました。初めて自分用にあつらえてもらったので、とてもうれしかった記憶があります。縞の巾が少し太くて若い感じがありますよね。今でも舞囃子や仕舞では、これをよく使います」

基さんの袴の生地

基さんのお話にもあるように、大学生くらいまでの男性の場合、遠目でも縞がはっきりわかる太い縞模様をよく見かける。年齢に応じた色柄、というものがなんとなくあるようで、こんなお話もしてくれた。

「祖父の舞台姿を思い浮かべると、渋めの茶色など落ち着いた曲に合うものが印象に残っています。祖父が亡くなった後も、袴を見るとあの曲のときにこれをはいていたなと、懐かしく思い出します。

舞台裏で着替えを手伝いながら、祖父の袴をたくさん見てきました。ああいう年齢になると、こういうのをはくんだなとか、こういう曲にはこういう袴が合うんだなとか、そういうことを覚えさせてもらったように感じます。祖父の袴を私がはけるようになるのはまだまだ先です。それまで、大切にしまっておきたいと思います」

袴の仕立てがシテ方五流で異なっていることは先述したが、紐の結び方も流儀によって異なる。基さんの所属する宝生流では「一文字」。扇をさす場所も流儀によって違っているのもおもしろい。

取材では、ご所蔵の裃もたくさん見せていただいた。裃には家紋が入り、今井家は鬼蔦おにづたが肩衣の胸に二つ、背中に一つ、そして袴の腰板に一つ入れられている。それぞれ色が異なるが、目を近づけると地の柄も向鶴菱や菊菱などさまざまだ。

裃の使い分けについては、「道成寺」や「石橋」などひらき物の地謡では、宝生会で所蔵している流儀の揃いの裃を用いるという。また別会や個人の会で、仕舞などに出演する際は、出演者が自分の裃を用意してつけるとのことだった。

能楽を支えるものづくりについて

基さんは、袴や裃、足袋や扇など、能で使う道具の製作現場がさまざまな課題を抱えていることが気がかりだという。なにか自分も力になれないかと考え、足袋を作っている職人の現場に出向いて話を聞き、今後も作り続けてほしいと伝えるなど、具体的な行動も起こしているそうだ。

「能楽師の多くがお世話になっていた足袋のいせやさんが閉店したときは、大きな衝撃を受けました。製作の現場では、材料調達が難しくなる、後継者づくりがうまくいかないなど困難があると思いますが、作る人がいなくってしまったら、私たちは大変困ってしまいます。袴や裃も、だんだん危うくなってきているのだと思いますが、能楽界全体としてまだ大きな危機感には至ってないように感じます。私たち使う人がもっと製作現場の実情を知って、気付いたときにはなくなっていた、とならないようにしなければと思います」